快楽主義と

 東大生はやってるけど、"学"生っぽいことしてないlough-makerですね。平沢先生に安眠を妨害され、1時起きになってしまい、学校でとつげき東北を生で拝んで、オンで知ってる人を何人か見て不思議な感慨を得た後、クラコン行って飲んで食って喋って楽しんで帰ってきて、はやおと知性とか他者への責任について議論したりして。文字情報が相変わらず入れる時間ないなぁ。帰省したらしたで遊ぶだろうし。

 はやおと喋ってたんだけど、4月中は快楽主義的に生きていこうと思うんだけど、大学生活ってそれだけやるには長いけど、知性を磨いたりするにはそんなに長くないってことで、どういう姿勢を持つか、結構悩みどころ。

 自分の生き方を合理的に考えるっていうのはいいんだけど、時間によって全ての要素が移り変わっていくのを考慮に入れると、どの程度まで計画みたいなものは立てられるのかな、って。流動的に変わっていくなら別にいいけど、ある瞬間に激変したりするし。結局決定できるのは、自らの行動原理などの「意思」だけじゃないのか?って思う。それだって変わってしまうけど、確率の問題か。
 結局は自分が後悔しないように、みたいな話は全然突き詰まってなくて趣味にあわないんだけど、かといって何でそこに詰んでしまうのかもイマイチ分からなくて。個人主義、価値相対、未来不確定とかそういう辺りが絡んでるのかなぁ。行きつく先が固定化してしまう原因を探りたいでござる。

「知性」って話もあった。リベットの自由意志を揺るがす実験なんかとか。人の知性は先天的に決まってるのか? 知性の上下はなぜ社会的に語られづらいのか? そもそも「知性の差」と「情報格差」はどう違うのか? 区別して観測できないんじゃないの? じゃあ知性って何? みたいな問題提起の連発で終わっちゃったけど、ホントにこの辺のネタは知りたい。小さい頃から「優秀」と言われるままに生きてきた者として。


 明日はALSAの関係で一橋大学に行きますよ、と。前からキャンパス訪れたかったんだけど、案外早く行くことになったなぁ。