師走っ

何で年末には師が走るんですかね。借金の回収?
それはともかくうかうかしてたら12月ですね。今日はズリーの最後の授業でした。寂しいね。

そこで配られた高校生の時に知っておきたかったこと、みたいな講義録がなかなか感銘深かったのです。要点とか適当に
・怠けることを肯定するモデルは採用するな(ex才能)
・選択肢が増える方へ向かえ
→賢い人に巻き込まれろ、不安になれるタフな問題に取り組め
・自分に知的な責任を持ったら大人である
・学校への反抗も服従も無意味なので、割り切って興味を追求しなさい
・NOストイック、NOサクセス←危険な幻想
・好奇心があれば苦しくはないからね
・とりあえず仕事に取りかかるだけの自律心は持ちなさい
・踏み出して学べ


ところどころ軽い違和感があるのは訳者のせいかな。まぁどうなんだろう。
人生に責任を持つ……それはどういうことなんだろう。俺が自分の行為(あるいは無為)でどうなろうと、他人に文句は言わないという宣言かしら。誰に対して責任を持つのかよくわからない。自分が自分に責任を持つ、って状態が今ひとつ想像できない。いや、自分1と自分2はやや違うのかな。自己意志という意味の自分、他者でないという意味の自分。……よくわからない。ならば自分の"身体"(意志の管轄外の部分)はこの式にどう置くべきなのかな。「初期条件なんか誤差」というのが話し手の主張ではあるから、私は私の意志によっていかようにもなりうる、と思っておけ、ってことかな。でもどうなのそれ?まぁその反論は"怠けるな"で封殺されるのだが

だが"怠ける"の訳がマズいな。これの対義語は勤勉、努力になるが、努力はさておき"勤勉"を話し手は必ずしも肯定しちゃいない。(勤勉:与えられたことを真面目にやること)
ストイック云々は忍耐って置き換えていいかな。以前、忍耐と努力を区別すべきと書いた気がするけど、ここでは学校の中での一所懸命な忍耐ではなく、単に「出力を出し惜しみしない」って意味で努力が使われてる気がする。だから「怠ける」は恐らく「無為」が適切な訳語かな。「行動しない」こと、歩かないこと。この人は「一直線に歩く」ことは否定しながらも、歩き続けることは大絶賛ってところだ。


将来を一切決めずに選択肢を増やし続ける、うむ。いつ頃からか落ち着いた結論。僕がこの人の言う点で間違ってるとすれば、「タフな問題」に体当たりしてこなかったことだろうか。少なくともその実感はなかったこの高校時代である(だからとりあえずリスニングと数学を打ち終わったらやろうと思うのですが)
ただそのタフな問題がすべからく「めんどく辛くうっとうしい問題」だとしか考えられなかったところに僕の限界はあったのだね。それは"忍耐"なのだよ少年。話し手が推奨する「タフさ」とはあくまで「スケールが大きくて不安を感じる」って意味で、「やりたくなさに耐えろ」って意味じゃあない……それも大事なんだけどね。けどやりたくないことにチャレンジするとか何の意味もない。忍耐は逃げられない環境で培うべきだ。定期テストとか受験とか。
努力、というか突進力は違う。もっとポジティブなもので、パッシブなものじゃない。嗚呼、このことを教えてやりたい。嫌なことをする力と、好きなことをする力は全く別物なんだ、って。


じゃ、晩飯