哲学(史学)者・米追加

哲学で博士号取る予定の俺が、どんな質問にも哲学的に答える
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哲学で博士号取る予定の俺が、どんな質問にも哲学的に答える(第二部)]

 スレタイに惹かれて。第二部は東大生vipperの煽りとの心アタタタる交流があったり。


 >>1は西洋哲学がストライクゾーンっぽいが、ほぼ全ての質問に答えられてる辺り、現代日本人が抱く疑問は結構西洋で解決された物が多いのだろうか。そりゃそうか、近代以降、疑問が浮かぶ地平自体が既にそうなのであろう、と試し書き。

 高速でガガガーっと読んでたけど自分にとって面白かったところを抜粋。

俺日本から出たことないから恐らく海外は存在しないのだと思います。
TVのは作り物です。地球は狭いのです。

>>16
ドイツ観念論の学者がおおマジにそう言ってたし
「世界は神が俺に見せてるにすぎん、よって物質など無い」っていう
バークリさまって人もいた。だから、それほどおかしな考えじゃない。
純粋理性批判」でカントが人が認識するってことを捕らえなおしたんだが、
それにしたって、認識する表象と「物自体」の壁は未だ埋まってない。
ある意味、非常に本質的で現象学的な考え方。その目線は守ったほうがいい。

僕もなんか常に「はいここでネタばらし」という展開が訪れそうな気がしてるんですよね。何か。
「俺が生きてる今がこの時がウソですユメですホントは君死んでますって言われ」たりしたらどーしよー、と大真面目に思ったり。社会生活では有害なんですがね。

脳科学の発展とかで個人の意識も唯物論の餌食になってるけど
これに観念論的立場から反論するにはどうすれば?


>>60
もうね!それなんだよ。それに加えて、ラカン唯物論的心理学。
この二つがダブルで観念論的、実存的個人を消し去ろうとしてる。
俺もおまえもどこにもいないんだぜ?だが、悲しいけどかなり正しい。
クオリア概念が、一応反論のきっかけにはなると思うけど。

2chってリゾームだよね
ツリー状のマスコミとは相性悪いけどマスコミの絶対的な価値観から抜け出して異化する感じ

って捉え方でおk?

>>68
それが、割りと規律=訓練化してるから難しい。
割と、2chでも思想の流れはあるし、権力の介在も比率は薄いけど消し去れない。
もちろん、その考え方も大分近いけど、それでもマスコミと構造的に大差はない。
程度の問題としてマシって程度だと思う。
2chがっていうより、人間全体が。

多少よく分からないけど、結局2chにある情報には書き手がいて、書き手らほぼ全体にかかっている権力ってのがあるはずで、それはマスコミへのそれと大差なかったりするよね!ってことなのかな。
最後の人間全体が、ってよくわからない。

哲学って人間がより良く生きるための学問って
位置づけでおk?



>>91
他の質問と重ねて答えるけど、それはちょっと違う。
もちろん、それも哲学であり得るけれど。
本来の意味では『絶対に正しいことはナンだ?』っていう学問だったんだけど
「正しいことは何も無い」っていうことを証明するための学問みたいになりつつある。

まぁ、現実的に考えると。
概念を作る学問だと思う。
世界に名前を与えるための学問、かなぁ。

俺は哲学者じゃなくて哲学学者に近いから、そんな凄いことは出来ないけど。

「よりよく生きる」って何なんだろうなぁ。それを言えば経済学だって生物工学だって全部公に益し、人間がよりよく生きるためにある物のような気がする。
「誰にとっても何の益にもなり得ない学問」って存在しうるだろうか?多分続かないな。何か実行したら有害でした!って学問は結構あるんだろうけど。いや、ルイセンコの共産農法だって別にスターリンには益で……、まぁ、ここで言わんとする「よりよく生きる」主体は普遍的人類なんだろうけど。
「よりよく生きるとは何か」それ自体を考察するのが哲学……、ではないだろうな。思想の領域だね。

なんで俺は>>1になれないの?
なんで>>1は俺になれないの?




>>65
俺もおまいもどこにも居ないから、ってのがポストモダン的な答え方だなぁ
俺っていうのは、色んな文脈と結びついて形成されたような気がしている
一つのテキストでしかないんだよ。
だから、おまいと違う形成のされ方をしたからおまいではない。

しかし、俺とおまいを分かつものが明確に定義できない以上
おまいは俺になれるかもしれないし、その逆もありえる。

これは中2ぐらいまで凄くアクチュアルな問いだった。この問題を考えていた時の、あの感覚がいつの間にか消えてしまっていて、喪失感がどこかにある。
永井均が「<子ども>のための哲学」って本で書いていた記憶があるけど、ガキの自分にはろくに理解できなかったし、覚えてない。けど読後感は悪くなかったような。また読んでみようかな。

アイデンティティーってなんだと思う?



>>104
サイフの中に一枚入れておくと安心なもの。幻想と切って捨てるのが現代流。

コンドーさんw
アイデンティティと自己同一性って凄く違う意味のように感じる。自己同一性、って訳語が全然合わないというか……あの概念はどうも捉えどころがない。
差し当たり、自分に対する「タグ」みたいな物で、これを自覚しておくと自己紹介の時に困らずにすむとでも考えてたり。

純粋経験ってなんですか?


>>121
事実をありありと、一切の知識やその他の影響なしで知覚すること。
現象学」って学問の基礎みたいなもん。要するに、ただ視るということ。
んで、ちょっと考えたら「それ不可能だろ!」と思うと思う。

ですよねー

自由意志っていわゆる魂みたいな霊的な概念なのか?


>>125
いや、違う。
例えば、おまいが右足から踏み出すか左足にするか、それを「自由に選べるか」
みたいな根源的なもの。しかし、心理学とか色々あって、かなり否定されつつある。

んー。たとえがわからない。
この自由意志は実存を支える概念なんだろうか?当てカンだけど。
人間は色々な物に規定されてるんだよー、けど左右の足をどっちから出すかさえ規定されてんのかなぁ。イヤねぇ

人間が存在する限りまず言える道徳の永遠の真理とは?


>>131
それが存在しないということ。

予定調和の美しさ。こういうのいいなぁ。

友達や知り合いの前で哲学っぽいこと、理屈っぽいこと言うと
「言葉遊び」「みんなが肌で感じてる事をわざわざ遠回りに理屈にしてるだけ」
って言われる
反論するための言葉を教えてくれ



>>150
そこに空気はあり、太陽はあった。
名前が必要ない世界に生きてるのか?みたいな反論が
一昔前のセオリーだったらしいな。最近はそうでもない。
実際に便利だった例はあるから、それを持ち出すとよし。
バルトの「クィア理論」とか持ち出してみ。

どれだけの知的格闘があったか全然知らずに、さも最初から知ってたような顔で「いや、肌で感じてるよそんなことさぁ、当然のことじゃん?」って態度だけは避けたほうがよろしかろう、と。
「自明だよな」って感じてることを疑ってみる、ってのはデカルトな懐疑。恐らく学内では得意な方。とはいえ、疑ったところで解決できるわけでなし。疑うことで停止を正当化する打算もなくはなし。ニート乙。

哲学は本来平面的な作業しかできないわけだからこの世界では一番下に置くべきものなのに何故上に掲げようとするのですか?


>>154
え、哲学って一番下じゃね?
人は概念から思考するしかないから、概念は全てのベース。
よって、哲学は一番上にくるような学問じゃないよ。
枝葉は上につくだろ。

うわー、この、こういう次元の違う切り返し方、惚れ惚れする。会話の中で野次にこのレベルの切り返しが出来たら一日ハッピーになれる、鉄板。

鉄拳一発で哲学者が涙目でひれ伏す世界で
暴力は哲学的にどういう位置付け?


>>155
お、スゲーいい質問だと思う。
暴力っていうのは、権力を支えるものなんだ。
実際わかると思うけれど、この現代でも全ての権力は暴力によって支えられている。
だから、暴力ってのは「どう使うか」だけが問題であって、善や悪ではない。
政治学の基礎概念だよ、それ。

暴力は権力を支える……めもめも

そもそも哲学ってなに?
生きるための人生観や世界観は実生活で考えながら見に付けるのがいいと思う
あえて紙の上で学ぶ意義はなに?
哲学=生きるための人生観ではないという事か?
最近の感じだと、哲学=わざとカオスな情報を詰め込むだけって事になってないか?


>>180
哲学は生きるための学問では、もはや無いと思う。
世界を語ることを語ることを語ること・・・みたいなことになってる。
ただ、たまに凄いの出ちゃったりして思考のOSの書き換えがあったりするから
ウィンドウズのアップデートみたいなもんかな。
もちろん、しなくても普段使いには問題なかったりするけど。

アップデートなぁ。そんな物なんかな。
「個人として生きる」ことを超えたところに何か「哲学」があるような気がする。いや単に普遍的、ってだけの意味……になってしまうのかな。学問って全部そうなんかなー。いや、普遍って言葉自体が実はもう否定されてたりして、「普遍は無い」という普遍的真理があるというポストモダン的永久輪廻がー(ry

VIPをやる意義を哲学的な言いまわしで肯定してみてくれ

>>190
どのような対話であれ、それは相互の存在を作り出しあうことである、
みたいなもんじゃないかなぁ。
VIPが無駄だっていうなら、哲学なんか土台無駄だよ。

永劫回帰って何


>>193
時間は無限であり、物質は有限であるなら
世界において、現在の存在はかならずまた繰り返される。
無限に続くランダムな数列からはどんな情報も取り出せる、
って考え方があるけれどそれに近い。

物質が有限である以上、可能性のパターンも有限であり
無限の中での再現を約束する。

もちろん、量子力学的に否定されてる。

戯言で登場した記憶>永劫回帰

「正しいことは無い」と言ってるけど、それ自体論理矛盾じゃない?


>>215
その通り。
だからこそ、脱構築脱構築
無限に続くメタ的な真理として捉えられる。
そこを入り口に無限循環。

脱構築って概念はwikiを引いても今一わからんけど、多分ポストモダン内で生きてるからワリと自然にやってることなんだろうか。
言葉の中にある「階層的な二項対立を崩す」ことが脱構築……。ともすれば言葉の揚げ足取り合戦になりそーだね。なんか質の低い脱構築合戦が繰り広げられたに違いないと勝手に想像。

自分の認識した物から世界が形作られる、ようは自分の中に世界があるのか
それとも世界の中に自分がいるのか
どっちだと思う?


>>221
ウィトゲンシュタインは、その二つの考え方を同時に使って思考した。
唯物論として語れる部分、唯我論として語れる部分。
それらを語りつくしたときそこに「語りえないもの」が出現する。

彼の文脈だと、「沈黙しなければならない」らしい。
でも、それは哲学史の中でも最強クラスの難問。
難しいよ。ドイツ観念論なんてそればっか悩んでる。

 語りえない云々はこういう話だったのかー。

大学で哲学を学んで、どのくらい就職に役に立つかが心配


>>230
クソの役にも。

世知辛いなー。世故に長けてる方が哲学より大事なんだろうね、そりゃそうか。本格的に哲学できる、というかする人は限られてくるし、まぁ扱いづらいだろうけど……

ポストモダンについて産業で


>>245
なんかもー
色々さ
あっていいよ

量子学とか最先端でハイレベルな科学は色々哲学的で面白いなーって思うんだけど
哲学畑の人から見たら自然科学どー思う?ツマンネと思う?

>>274
自然科学は死ぬほど面白い。
自然哲学ってジャンルもあるけれど、学ぶことは本当に大事。
大体、思想にだけ閉じて興味を失うのはよくないよ。

耳に痛いよなー、と。サイエンスとか、ちゃんと読み続けないといけないでしょうね。
「本質的」に取り付かれるとついつい現実軽視に陥ってしまうけど、これは多分間違いなんだろうけど、単に反社会的、とかそういう便宜的な次元じゃなくて、本質的に批判できないのかなぁ、と考えたり。

今さらポストモダンかよw
害悪しか撒き散らしてない

>>280
害悪は、虚無主義に閉じていったポストモダンだよ。日本式の。
何もかもを肯定する文脈に使われたりするし。詭弁の材料として便利だしね。
バトラーとかフーコー読んでみてくれ。

と、思ってたらやっぱりニヒルなのはよくないとか云々

コミュニストカソリック教徒たちが実存主義を非難しているのは、
理論構成があいまいなため?もしくは一種の利害関係に立った
ところの排他的な気持ちから?


>>326
実存が、結果的に神を退けるため。
実存主義って、結局のところ神との離別を意味したから。

哲学の博士号もってるって人は
哲学者というよりも、哲学専門の歴史学者

って思ってるんだけど、そんな感じでおk?


>>327
合ってる。俺もそこから抜け出そうともがいてる人。

カミュの異邦人の面白さを俺に教えてくれ

>>343
うーん、ええとさ。
「そう、そうだよ。何をよしとし、何を美しいと思い、何を善と悪とする
不条理な世界で俺たちはさらに内面的にも不条理。何者にも支配されない、これこそ人!」
って感じのカタルシスがある。

自我がある限り自分の存在って一種の神だと解釈できるかな?
自分が死んだらそこで自分自身の世界は終わるでしょ?

>>349
終わるのかな?それは、わからない。
ただ、こういう言葉もある。

「世界は消えうせている、私はおまえを担わなければならない」

死んだ後の個の世界は、誰かに担われていくのかもしれない。
そして、そうなると担われた世界は他者の影響下にある。
すると、神ではないだろうなぁ。
そんで、自我ってのも他者の影響を強く受け、常に生成変化するものであって
それを神と呼べるだろうか?もちろん、あなたが他者の影響の一切を受けないなら
それは神に近いと思うけれど。

これって結局上の方にあった「唯我論的解釈」のことかなぁ。いや、自分自身の世界が終わる、って言葉は少しニュアンスが違うんだろうか?
どうなんだろう。わかんない。

あのさ哲学と全く関係ないんだけど
院の哲学科って何してる─というかどんな感じなの?
俺の予備校の先生も院でた人なんだけど皆に批判されまくって潰し合いするって聞いた
哲学科もそんなんなの?


>>367
殺伐と絶望と自意識過剰と選民意識と劣等感www

うわー、想像できるwww

同じ赤いリンゴをみたら、もちろん自分は「赤い」と思うのだけれども
他者も「赤い」と思うはずだが、自分が思ってるところの「青い」が他者にとっての「赤い」だとしたら
この空隙は絶望ですか?

>>396
貴様、現象学齧ってるだろう。
空隙なんて用語を使う素人がいるか、貴様のようなババアがいるか。
んで、絶望だよね。他者は語りえない、ってことになる。
そこをどうやって乗り越えたらいいかな、ってことに。

えーっと、これって要は「実は自分の視覚は相手とポジネガの反転している。けど色と言葉の対応関係も全部反転してるから、相手と自分はリンゴを見て『赤いよね!』と言い合える」そんな話だっけ。
けど正直コレって、誰の視点から見たら実際の問題として浮上するの?自分の色と語の対応関係も、他者の色と語の対応関係も同時に把握した状態の第三者しか食い違いを発見したり絶望したりできない気がする。当人同士は話成り立ってんだから別にどうでもいいよね!なんて。

>1からオリジナリティを感じない


>>397
オリジナル振りかざすと禅問答になる。
しかし、オリジナリティがなければ哲学ではない。
難しい。しかし、実に正しい指摘。
俺は「哲学的」に答えてるだけで自己の哲学としては答えてない。

痺れるねぇ。「哲学的」……か。

どんな考えも、所詮自分の脳で考えたことに過ぎないわけじゃん。
正しいかどうかも、良いものかどうかもわからないし、
そういうことを受け止めたから、何だってわけでも無いじゃん。
どうやって折り合いをつけるの?


>>416
うーん、それは難しいな。
ただ、知の考古学ってやり方があるけど
そういう風にして実証主義的なアプローチをする人もいれば
思想同士の関係性で視る人もいる。哲学は絶対性を目指すわけでもない。
むしろ、「使える概念」みたいなプラグマティストもいたりする。

哲学者の書く文章ってなんであんなに分かりづらいの?
国語のエキスパートなんだからもっと分かりやすくしてよ


>>478
あのね・・それは多くは翻訳の問題なの。
原著で読めば、それほど難しくなかったり。
でも海外の用語を翻訳するのって凄く難しい。
俺も読むときは用語辞典片手に読んでる。

ハイデガーなんてコレの極地。
仏教用語とか使うなカス、と本気で思う。
でも最近は解説書も色々出てるからそっちから入るのが吉。

けどやっぱり難しいよね!それは俺のせいか

ヘーゲル、ナチズム、フランクフルト学派の関係を簡潔に頼む


>>516
んーとね、まずヘーゲル弁証法的理解
物事は循環しながら前に完全系へと進んでいく、って考え方。
これがマルキシズムに接木されて、マルクスはそれを歴史的な社会革命と捉えた。
そんで、フランクフルト学派マルキシズムをベースにしてるから
当然ながら、国粋主義的ナチズムとはソリ合わない。よって、みんな亡命して逃げた。

鮫島事件って何??


>>540
語りえないことには沈黙しなければならない。

いや用法が違うんじゃね?w

就職の面接の質問であったんだが、
「自由を定義してください」

ちなみに、周りのやつは、勝ち取る物だとかわけわからん事言ってたな。
定義って言葉の定義をしなければいけないだろうけど、そこは置いといて。

んで、どう思う?


>>615
凄くいい質問だな。そんで、勝ち取るものってのは間違ってる。それは定義じゃない。
じゃあ、不自由の状態に触れつつ、例えば全身を束縛されている状態でも
思考は自由を保ち続けるのか、とか色々ある。

でも、無難なのは現代の自由論で攻める方法じゃないかな。
あとは、社会の中でそれはどこまで規制されるべきか、を語るといい感じ。

626 :ドラドリの弟子@東大生:2007/07/25(水) 22:02:58.47 ID:7zlqpWAV0
自由は勝ち取るものだっていうのはマルクス主義っぽいな。

自由の主体があらかじめ存在するんじゃなくて周りとの関係において
形成されるものだという点では間違ってない、というか


ウケが良さそうに思うが。特に外資なら。

煽りの癖にカッコいいこと言うじゃないかwと言う話。
スローガンと定義の区別がつかない方が採用試験では有利なのか↓

俺と結構似た感じだな。

定義の定義を確認しなかったから悪いんだが、俺以外みんなそれ系の答え。
勝ち取るとか、あと何を言ってたんだか忘れたけど、定義してなかった。
ちなみに、この質問への解答は一分間で発表。

俺は、究極的に、自由は「生み出す事」だと答えた。
例えば、身体が動かなくても、思考だけでも解放されていれば、
それは自由なんだろうけれども、思考ってのも、前に考えた事に縛られるわけじゃん?
他には知識や情報とか、そういうものに縛られている状況は究極的に自由ではないと。
で、0から何かを生み出す時にこそ自由があると。

って感じのことを言ってみた。どうだろうか。
ちなみにそこの会社は流行りの人材コンサルタント会社www落ちたがなwwwww

面白いよなぁ、こういう回答が効けたら楽しいのに。ここが減点ポイントだったら気の毒だし、面接官もpgr。

ロリコンペドフィリアについて哲学からアプローチすると
どうなるんだぜ?

>>631
哲学からってより、心理学からのアプローチが一番強いけれど。

まぁ、現代になってセクシャリティーには正常や異常の分類はなく
それらの境目は社会的イデオロギーによって形成されたことがはっきりしてるから
ロリやペドは、その存在としては問題ない。

あとは、社会の中でその自由がどの程度規制されるか、って議論になるよ。
功利主義的にケリつくと思うけど。

神は死んだ。とニーチェが言ってましたが、何故、神は死んだ。と言ったんですか?
あと、近所のハゲが髪は死んだ。と言ってましたが、ナンですかあいつは?


>>638
んー、ニーチェは「神の機能」みたいなものを看破したんだよね。
神ってのは、価値観をひっくり返して人間を縛るための道具であり
祭司や権力者が神への通路を独占することで特権化するためのものでしかない、
それは人間の生きる力を奪うだけ、もっとデュオニソス的に生きろよ!
みたいな。ちなみに、デュオニソスってバッカスのことね。

655 :ドラドリの弟子@東大生:2007/07/25(水) 22:15:14.97 ID:7zlqpWAV0
ところでソシュール言語学とバルトの記号学の決定的な差異ってどこにあるの?
両方とも言語によって分節化される世界を考えたってことでいいのかな?

>>655
いや、違う。その解釈はバルトの方が近い。
ソシュール言語学は差異の体系と法則性、単純に構造を調べたもの。
レヴィストロールの婚姻の法則と一緒。実際にある構造の実例。
バルトは記号の恣意性に着目して、テキストから真理を奪った。

答えのない不安を哲学で解決できますか?

>>654
答えが出ないことに理由は与えられるけど、その程度。

これは何か実践したような気がするw

カミュサルトルの違いについてkwsk


705 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/07/25(水) 22:34:53.48 id:Ecteuiyz0
>>697
人間を犯す全てを否定するカミュに対して
サルトルはかなり政治的だったことが一番デカい。
カミュは生き方と人間の次元で語り、社会主義なんかも超キライ。
サルトルはそうでもなく、社会参加に意義を求めた。

>>705
なーるほど。
ではサルトルが社会参加を求めた理由は?
二人の解釈の違いがよくわからんだよねー。
教えてくんでごめんなさい><

ペストでパヌルーを殺したのはカミュ無宗教をよく表してるよね。


>>721
んー、サルトルは社会の拘束されながらそれでも参加していくことに
主体の意義を置いてたんだ。アンガージュマン、ってやつ。
それと人間そのものに主体を置いてたカミュは、実存主義者同士でも大分違った。
カミュの文脈は、社会を要請してなかったわけ。