日本史第4問批判

aさんへの返信ついでです。

 データありがとうございます。思った通りですねぇ。
 識字率が答案に書かせたいなら第3問で「江戸の貸し本屋業隆盛の理由」とか作るべきだと思いますね。確かに識字率は出版隆盛の大前提ではあるので、「出版」という搦め手からの出題にも原理的な思考が出来るかを問いたかったようですが、確実に「大正以降の」って制限に抵触すると思います。
「高等教育の拡充」という表現は原敬内閣期の「大学令」を踏まえているようですが、1927年が施行9年後であることを考えれば、これはやや時期尚早という気がします(教育政策の成果が現れるには1世代くらいは見ないといけないと思うので、大学令を取り扱うのは避けました。自分の答案ではその辺を含んで「明治・大正期を通じた高等教育の普及」という風な、やや時期を大きく取った表現にしてあったと。おそらく採点者は「ピンボケ」と見るのでしょうね)
 そんなこんなで第4問は「書かせたい答え」が先行しているような気がしましたね。要は質が悪いということです(自分が間違えたのを質が悪いと罵倒するのは人間として問題があるのですが、そこは刺し違える覚悟で)
 何が腹立つって、「岩波文庫創刊の辞」がほとんど反映されてないってことですね。この文章の「教養を大いに広げたい」って主旨は、恐らく大正デモクラシー以降の時代の空気を反映しているのだと推察します。そういう「大正の空気」こそが岩波であるとかキングであるとかが出てくる「知識」への志向の背景であるはずです。「岩波」をこれほどに引き合いに出しながら、それに触れていないというのは凄い違和感を覚えます。
 あと「1927年の頃のこと」+「経済について触れろ」というヒントを加えておきながら、「20年代の不況」に一切触れてはいけないなんてセコいフェイントを東大教授は絶対しないと信じます。


 大正期の大衆文化を聞きたいならもっと有効な問題が作れると思いますね。