今日の勉強

林修の授業。
微妙に納得いかないので質問、議論を経てわかった話


東大国語2004年?問3<傍線部の因果>
虚構ならば解体する<直前部の因果>
個が実体ならば解体しない(対偶:個は解体するならば虚構だ)
実際、個は解体する。よって個は虚構である


よって
「個は虚構だ」と「個は解体する」は必要十分、同値関係にあるといえる

「虚構」と「解体する」という言い回しだと常識的に偽、というか語の次元が変わってしまうので、正確に表現するならば「個が持つ"虚構"という属性と"解体する"という属性は等価」とでも言うべきか。
様々な反例が鎌首もたげるが、作者がそう書いちゃってるんだから仕方ない。どんなに納得がいかなくても、彼にとって「Aが虚構だ」は「Aか解体する」と全く同義なのだ。
(ダイビルは解体するが、実在する建築物である←解体の定義ズレ)


で、問3は「個は解体する」のは"なぜか"という問である


僕の答案は
「実体は解体しない」
「個は解体する」
よって「個は虚構である」
だから「やはり個は解体する」
みたいな(書きながら胡散臭く感じた)答案


しかし前述の等価関係を突き詰めれば、「個は虚構である」は「個は解体する」と"寸分違わず"同じ意味を表している
となれば僕の答案は「個は解体する」と言ってるのと全く同義であり、これでは「なぜ個は解体するのか」の答えにはならない。トートロジー。二段階離した言い換えにすぎない。

東大教授の仕掛けたTЯICKの神髄は林修の言う「二重に仕掛けた因果関係が起こす混乱」以上に、「同値の言い換えじゃ結局、理由にはならない」ということなのだろう。
背理法を駆使した数学的な頭の使い方をした気がしたけど、錯覚である。「直前のとセットで同値じゃないか」という"安直な推理"自体が仕組まれた罠!ということか。そこまで考えてこの微妙な部分に傍線を引いたのか?お、恐るべし。


……ということが恐らく次回の授業で説明されるのでしょう。僕自身「二重因果」の厳密な処理に惑わされてるわけで、そこで完敗食らってるにせよ、林に多少報いた感じが。雲のジュウザみたいな立ち位置か(違)



林との会話ではつい権威と自信ありげな物言いに押し負けた(向こうは同値が理由になるかどうかの問題だとさっさと見抜いていたが、こっちは云々悩んでた。強者・権威の前で思考が緩慢になる、危険な性質である)まぁやはりタイマンでの議論は年期に差がある。


議論の噛み合わない部分として「虚構」、「解体」って用語のスケールの差?があった。上の説明では両方を"「個」の属性"という形で同じ水準に並べてみてるけど、はてさて。それにしても、わずかな言葉の使い方のブレで、ものすごく論理が乱されるもんだなぁ、ホント。人文学者が綺麗に書けない苦労が少しわかる。会話の言語で論理を貫き通すのは非常に難しい、文章でさえ。口頭なら尚更。