学校がテレビにでる

13日の晩に「ザ・コーチ」という番組があって、橋本先生という伝説的な先生が紹介されていたわけです
中学3年間、現代文(というには古いか)の授業で「銀の匙」という200ページほどの小説だけを読み込むという授業を展開なさった伝説の方です。現在御年97歳なんですが全然死にそうな気がしない旺盛なバイタリティは感服しました。
大正期に書かれた小説一つを取って、そこを掠める教養的な知識や、歴史的背景、当然文章の解析などありとあらゆることをやり尽くし、作品世界に浸るために主人公が食べていた当時の駄菓子を買い集めたり、凧揚げしたりといい意味でめちゃくちゃ「暇」な授業をなさったそうな

番組では効用として、愚直に「卒業生は東大にX人も行きました」という宣伝をやってたんですが、知的体力というのにもちゃんと触れてたし、武田鉄矢がクサかったりしたことを除けばいい番組でした。我が師であるO森も登場してましたな。「源氏を一年かけてやってる」ってナレーションでね(まぁわからなすぎて100回くらい「紫式部氏ね。氏んでるけど」ってボヤいた気が。次点は光源氏)


"研究"とか"勉強"って、本当は効率とか効能とかそういうのを飛び越えた次元のもので、なおかつ「楽しいもの」って体得した生徒は幸せだろうな。僕自体が深く実感してるわけではないのが残念でならないけど、損得勘定が吹っ飛ぶ楽しさを、何かを極める人は感じながらやってるんだろうと思う。受験勉強なんかでも"安全圏を確保した"と思ってしまったら人間萎えるものだ。俺しかり、id:saltierしかりw
そのたわみを吹き飛ばすのは、対象そのものへの強い感情以外あるだろうか?シビアな現実感?勝利中毒?


楽しそうに授業してる教師の授業は魅力的だと思う。教師自身が自分が教えることが好きだ、楽しい、それをなんとしても伝えてやる、そう思ってることが、生徒歴12年でわかったいい教師の共通点だけど、橋本先生ほどわかりやすく"勉強"を愛しちゃってる人も少ないだろうなぁと。
その気持ちに生徒を巻き込むのはすごく難しいことなんだけど、強い愛情はそれ自体が引力を持つように思う(負の感情であれば斥力になるね)

橋本先生に教わった人を羨ましく思うわけじゃない。僕が知識探究の永久機関(本当は彼らだってなってないのかもしれない。ただマラソン選手を見るように、僕からしたら永久に近い知的スタミナがある)になれない理由をロールモデルの不在に持ち込むべきではない。てかむしろありすぎるはずだし。



輝かしいものを前にすると、どこかを光に食い破られるような疼きが。


自分がまた停滞している理由は、もう少し考えないといけない。
方角自体がイマイチわからないこともあるが、自分自身の精神力や思考回路に欠陥がありそうな気はする。が、そーいう考え方も採用しない方がよさそうではある。


「センター100日切った受験生が何言ってんだかw」