吐血と喀血の違い

A.前者は胃、後者は肺


 まぁそんなことはさておき。わざわざ自信ありげに前に出て論述の答案書いてえらい目にあったので反省会。


<間違えた原因>
・倹約令の意義に対する考察が完全に欠落していたこと
 盲点。全く考えてなかった自分に唖然。「定信そんなキャラやしな」みたいなアホ日本史をやっていた模様。何それ死ぬの*1

・野島のハンドブックにあった「定信の目には享保飢饉での打ちこわしが焼きついていた」という一節が印象にありすぎたため、「無宿人による打ちこわし防止」ばっかりに意識が向いた。
 自分が楽しい・面白い・意外である・これはすごい的な着想にこだわりすぎる癖が強い。現代文の難問で地道な拾いが出来ない、作者の論理を追えないという問題に繋がる。
「ひらめき」に固執して本質を見失うことが多い。もしかするとプライド最優先なんかもしれない。O森にも林修にも「自分を滅しろ」と言われる理由が何となく分かった。多分鼻につく、愚かしい答案なんだろう。


 現代文は特に、かなりの%まで納得しないと答案を書き出すことさえ出来ない。限られた時間で学者の文章が読み解けるほどの背景知識も理解力も無い中で、アドリブを効かせようったって自己満足に過ぎんといえばそうだ。分からない以上、どう書いても分かってないことは見抜かれる。でもじりじりと這い寄らねばならない。
 楽しいからついつい「俺の文章を見ろーッ!」的な自己アピール答案が出来るわけですが。「点にならんことは無駄」という態度は嫌いでもあるし。
 とはいえ国語80、日本史50を目指すと言った以上、解けるところまで解き、被害を食い止めるという「地味な技術」が必要になってくるんだろう。「そうは負けない」っていう傲慢な心理が動力になっているのが事実だとしても、問題、つまりはるかに優秀なプロに向かうに当たっては謙虚に冷静であるべきだろう。俺が粋がったところで、プロの目には見苦しく映るだけだから。


 あー頑張れ俺

*1:メモ:復古主義的な定信らしい政策ではある。定信の現実的認識だけ抜くと、商品作物の需要増が農村での米の作付けを減らし、米不足を招いているということ。米だけ作ってりゃええんや!って古風な百姓観もある