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大学受験に強くなる教養講座 (ちくまプリマー新書)

大学受験に強くなる教養講座 (ちくまプリマー新書)

1章「還元主義を超えて」
 還元主義。要するに近代的な分解分解の機械論。今の世の中は西洋的なそれが一切を覆い尽くしている
 著者は「鍼灸」などの東洋的な「縁」の知識体系を、「因果」しかみていない西洋文明に対するアンチテーゼとして捉えている。非常に「科学教」に対して不信を持っていらっしゃるようだ

2章「言語とコミュニケーション」
「非明示的表現」がテーマ。日本の英語教育、受験の出題に関しての批判から始まり、「ダブルバインド」という概念を解説したあと、受験問題は最大のダブルバインドである!となる
 ダブルバインドというのは「言葉の文字通りの意味」、「場の空気や文脈や顔つきなど」、「相手との関係性」の3点のうち2つが矛盾すると、相手は混乱したり疑心暗鬼に陥ったりしてしまう
 文科省とか塾は「一生モノの学力!」とかキャッチフレーズにしながら、「東大に何人!」だの「偏差値がナンボ」だの場の空気は完全にそうなってる。これが受験のダブルバインド

3章「脱工業社会の到来」
 消費社会化から、情報社会化を語る。「情報の民主化」の「方法論的陥穽(ex.法整備など制度が追いつかない)」「アイデンティティ的陥穽(ex.国民意識とか。でもインターネットのコミュニケーションは全然不十分だし、まだまだコスモポリタンだらけにはならないと予測)」「倫理的陥穽(ex.情報リテラシーの話)」がメイン

4章「ポストコロニアルな世界史」
「東西なんてねぇから!!!」って意識。西洋の知の体系が世界中を席巻し、現代の僕らもそれに飲み込まれている!って意識を持てぇー というのが基本。ていうか第一章もそうだけど。
 アニミズムや日本の「真澄」の概念など、現在の西洋文化流入以前のことを紹介し、アメリ功利主義の基本理念などを洗い出しています。しかしアメリカの主導したポストコロニアル的な発想が、ファンダメンタリズムを生んだ「自己撞着的構図」を批判しています。後々でも出てきますが、著者は「自己撞着」って語が大好きで、何度も批判用語として登場します

5章「アメリカ化する社会」
 著者はアメリカ化に随分警戒心を持っているらしく
 途中から宗教の話になります。当局に媚びず自らの掲げた「仏法」を貫いた中山みきなどを絶賛するとともに、当局に守られた宗教法人でありながら反社会的行為を行い、挙句に見苦しくも裁判所にすがるオウム真理教を罵倒しています
 きれいごとだよね。でも。全くリスクの無い傍観者に「筋を通して死ねよ」と言われる筋合いはオウムの人らにも無かろうな、と思います。著者はどうも理想主義的なとこがあるんかなぁ。予備校教師となると、案外現実にスレてないのかもしれないですね
 ただ人権を信じきっているって意味での「人権真理教」という揶揄は結構刺激的な表現だなと思いました。メモメモ

6章「現代民主主義の逆説」
 著者は「学際的教養人」を自認しており、リベラルアーツにこれからの未来を切り開くほどの価値を見出しています。「専門外だから不要」という発想を実に忌避していたりね。でもそれは共感できました
 ニーチェが好きなようで、「実存」の概念を使いながら、「真に対象を知ろうと思えば学際的にならざるを得ないはずだ!」と喝破しています


 全体としてうなずける内容が多かったです。「そうそう。専門馬鹿とは言われたくないんだ」って自分の考えにある程度の言葉を与えてくれたと思います。東進の英語教師という著者のスタンスは好き勝手言える無責任な立場ではないか?と若干邪推してますがw でもだからこそ理想を高らかに語れるのかな?どうだろ