結論。

 幸福とは何か? そんな議論をした。やってる最中は楽しかった。賢くなった気がした。終わってゆっくり考えてみると、そんなことはなかった

 結局Kentaやtkの言うことは俺にはよくわからない。感覚的に理解しがたい。というか多分どこかに用語の間違いとかで混乱が起こっている気がするが、ひとまず思うこと。


 貧困⇔不幸ではないが、貧困⇒不幸は間違いなくある。貧困なだけで不幸というわけではないにせよ
 どの程度の貧困か。感覚的だが、一年先さえ闇!というレベルの不安定な境遇だとする。自分が一年先堅気で生きているかもわからん状態で、喜びに溢れ、たくましく心健やかに生きていける人間がどれだけいるのか。はなはだ疑わしい。誰が何をどう幸福と捉えるかは知らんが、少なくとも生存の不安に脅かされる状態を幸福と捉えられるのは坊主ぐらいじゃないか?
「ペンキ屋の幸福」というのでも、前提は生存がある程度確保され、子供なりを育てられる見込みがあってなんぼだ。確かにそういった貧しいながら慎ましく、たくましく生きてる人の幸せを否定して、「お前らアホやなー」と言うのは虫唾が走る馬鹿のやることだというのは同意する


 とりあえず幸福の定義は色々あるとして、「希望が持てること」はかなりのウェイトを占めるんじゃないだろうか? すずかんが言ってた子供を育てる幸せとかだって、その子供の将来への希望があるからだろう
 どうにも希望の持ちようがない、あるいは持ち方を知らない人は間違いなくいる。彼らが将来に対して希望を持てる土台を作ること。それが彼らを不幸にする、short-termなものだとは到底思えない
 境遇を思いやる気持ちから、貧困に苦しむ人みんなが人間らしく希望を持てるように。嫉妬だのなんだの嫌な感情を抱えたとしても、それは生存を脅かされ続ける不安に比べれば、随分人間らしいはずだ。同じ人間として生まれながら、動物じみた生存不安に脅かされる人たちを助けることは、安全な場所から見下ろして「貧しい人を救ってやろう」というのとは違うはずだ

 もちろん「生活レベルが一定あれば希望が持てるか」とか、色々ある。すずかんの言うように教育にいらん劣等感を植え付けられて、仕事や状況に誇りを持てないでいる人もいるだろう。けどそれはそれで別の問題として解決すればいいだけのことじゃないか?


 そんなわけで、結局やっぱりH君がどう間違ってるのかはよくわからない。そう僕は思うわけである


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