アナログより先に(ry +追加

 初めてイタルブログにコメント入れました。

草なぎの呑み過ぎは「社会人」、全ての行動に責任を問われる身としては軽率で無責任な行動だったといえると思います。「飲みすぎてへべれけになって迷惑行為をするかもしれない」というリスクを過小評価したというのが「シラフの草なぎ」の咎です。彼が批判されるべきは「問題が起きたこと」ではなく「リスクを軽視したこと」でしょう
けど心理的な意味で、過ちを受け止めて反省しているのであれば、彼は「大人」なんじゃないか? と思います。簡単に定義できるものかはわかりませんが、自分が「社会人(自分以外の全てに対して責任を持っている)」であるという自覚を持って、そうあろうとしている人、それが道義的な意味での「大人」だと思います。草なぎが自身の社会的立場や役割について自覚的で、責任を持とう・責任を負おうとしている限り、過ちを犯したとしても、彼は「大人」だと僕は思います

鳩山大臣のコメントは「どうみても地デジがうまく行ってないイライラが爆発した子供っぽい利己的な怒り」のようにしか見えないものでした(報道姿勢を見るに、おそらく大半の人がそう感じたんでしょう)結果的に「かんぽの宿払い下げ問題」とかで少し上がってきた自分の株価を派手に落としたと思います。
鳩山大臣にある社会的役割とそれに伴う責任(総務大臣、議員として常に自分を「大人」に見せておかないといけない)を考えれば、自分の発言が社会にどう受け止められるか、草なぎを感情的に罵倒することで自分がどう見られるかを測りそこなったことは「社会人」として失敗でしょう。ただ彼がどこまで深く考えて、ああいう怒り方をしたのかわからない以上、一概に「大人でない」とも言えないのですが。見られ方や立場を全部考えた上で「ここは怒鳴るべき」と判断した結果の失敗なら「大人の失敗」なんでしょうけど、まぁその線は薄そうですね(少し考えれば、草なぎを一方的に否定することが「地デジの利益」しか考えてないという印象を与えるなんてことは思いつくはずですし)

しかしマスコミの人たちが「草なぎを断罪している」という風には今ひとつ見えません。現状、世論は結構同情的なようです。「世論」がマスメディアの影響と独立して存在するかは疑問ですが、少なくとも「草なぎを断罪する」というよりは、草なぎに対する世論の関心に応えようとしているのかな? と僕は思います。世論自体が別に自分とは無関係な芸能人の動向で一喜一憂するような子供っぽいものですから、それを反映するマスコミが「子供っぽい」ものになるのは当たり前かなぁ、と
「草なぎ君はどんだけ呑んだのかなぁ?」とか「何か嫌な酒だったんだろうか?」とか、僕自身も少しは気になるところです(まぁそのうち分かったらいいな、というくらいで)んでまぁ、そういったことを「今すぐ知りたい!」って人たちのニーズにマスコミが応えようとしている……ということで良いんではないでしょうか。どっちが卵でどっちが鶏か、ホントわからないですけど……


・疑問点

  • テレビでインタビューを流された通りすがりの一般人は、なぜ全員草なぎを良識ぶった感じで非難しているのか?
  • 鳩山一郎以外の有名人は、僕の知っている範囲(石原都知事、橋下府知事、野村監督)で全員擁護している。なぜあたかも「有識者では鳩山大臣だけが非難している」という構図ができてしまったのか?
  • 仮に草なぎ剛じゃなくて、議員とか消耗品芸人だったらどういう扱いを受けただろうか