無知の知について

 親父から教わったこと。少し連想したこと

無知の知 [編集]

他人の無知を指摘することは簡単であるが言うまでもなく人間は世界の全てを知る事は出来ない。ギリシアの哲学者ソクラテスは当時、知恵者と評判の人物との対話を通して、自分の知識が完全ではない事に気がついている、言い換えれば無知である事を知っている点において、知恵者と自認する相手より僅かに優れていると考えた。また知らない事を知っていると考えるよりも、知らない事は知らないと考える方が優れている、とも考えた。

なお、論語にも「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」という類似した言及がある。(Wikipediaより)

「自分の無知を理解していて知ったかぶりをしない」というだけならば、気立てのいいアホでもできる

 論語孔子が言いたいのはきっと、「知らないところがどこかわからなかったら、『知る』ことなんて出来ないよね」ってことなんだろう
 何か大きなものを推論し、知ろうとする。仮説を立てたりしながら、推論に必要な要素を考える。自然に「推論をくみ上げるのに、AとBの知識が不足している」ってのがわかる。その上で、不足を補い、全体を調整し、新たな発見を加えて仮説を建て直して……答えを出し、「知る」
 それは当然、自分が「無知」であることを、そして「無知である部分」を理解してなくては出来ない。「知っているもの」を組み合わせるのは創造ではない。細工。「知らないから考えない」のは知的怠慢だ

「どこを知らないのか」を下らないプライドや優越感に心を乱されずに正確に把握すること。それが『知』に繋がるんだな