気がついたら

一般的な定義はさておき、自分にとっての幸せは
・自分が歪んだり、ねじ曲げられたりしない
・自分が誰かの不幸を起こさない
・他人に喜んでもらえる

の3点くらいだろうか。モラトリアム人間だからか、社会や国家への忠誠心はあまり高くない。うちの学校は愛しているが。欠点は多々あるとしても

非加害。それを通すのは多分虫がいいのだろう。世の中悪人もいるし(過去あまり悪人と呼べる人間にあったことがないのは、めでたくも幸せなことだろう)でも、誰かを踏みつけにする栄光なら拒みたいのです
それでも自分が人を傷つけなくても、預かり知らないところでみんなズタボロにされていく。俺一人、けがれなく、血を流さない、それは臆病者の生き方なのかもしれない。親父には暗にだがそう言われた。保身なのかな?そうかもしれない。後ろめたさはどこかにある

ああ、後ろめたくない生き方がしたい。血と泥にまみれて社会の悪や歪みと戦う戦士の眼を正視できるくらいに
勇敢で、高潔でありたい。それを貫ければ、きっと人生ハッピーだ


「強くなきゃ何も守れない」
信念も、仲間も、理想も、夢も。ベンチャーやってる先輩の言葉。真理だろう
僕が武器にできるのは、自分の脳みそくらいだ。そこに社会で権威になる資格に繋がる知識(ex法律)をたたき込む気はあまりない
東大が謳うところの「教養」を身につける。漠然としたエネルギー体のそれを僕の武器にする
多分僕は丸腰の人生を歩もうとしてる。不安はあるけど、歩き通したいと思う