終業式でしたね

 通知簿はちょっと上がりました。級長に各学期の平均で0.1ずつ勝ち、学年全体の平均で0.1負けました。しょうもないですね
 遅刻が19回ほどありました。改善します
 6以下の人数がこころもち増えてる気がします。学校の成績だけが全てじゃないし、正直そんなので人間の価値なんか一切測れないけど、彼らのうち断固そう言い切って誰にも恥じない人がどのくらいいるんだろうとか、考えてしまう

 ……結局なんだかんだで俺は自分が別段よくわからないうちに稼いでいる点数に、自分のアイデンティティを置いてしまっている。自分の片足をそこから外すのは怖くてできない。頼れる足場は、他に作っていないから。ただここに立脚している限り、自分でも吐き気を催す醜悪な感情が消えることは無い
 受験生として、その足場を無くすのは非常に不利益だと打算的に考えてはいる。紙面上の数字に一喜一憂し得意がったり悔しがったりしているほうが単純で手っ取り早いだろう。ただそんな受験生を打算的に演じることで、自分の誇りを傷つけてはいけないだろうとも思う。俺は受験生である以前に人間だ。下らない分別で自分を騙すのは主義に反する



 さて、文集が帰ってくるとまず何を読むかって、自分のを読むわけですよ。そして「あー、ここわかりにくいな」とか「テンポ悪い表現やな」とか、あれこれと後悔するんですね。今日も後悔しどうしです。理想を言えば規定の1.5倍ぐらい書いた上で削り倒すもんなんですが、今回は書き出したのが「締め切りすぎてから」だったんでそうも言ってられなかったとw


 あとがきのO盛の文章、今日の集会での彼の言葉は切なかった。「『こんな奴社会出てから頭打てばええねん』と思ってしまう」と。俺もその一人には含まれているのだろう、あまりそう思いたくはない。O盛を切実に心配させているのは、申し訳ない。周囲に自分の現状を危機的だと言う人間が(父以外)いないだけで、俺も自分が見えていないことに関してさしたる違いは無い。彼の学生時代の頃に比べて、親にスポイルされ、塾やら何やらで管理され、いかに監視の目を盗むかに汲々としている僕らは薄弱に映るのだろう
 そういう人間にとってうちはふさわしいのだろうか。監視の目が無いも同然な学校であれば、好き勝手にできるわけだから。うちの学校に人生を狂わされる生徒は間違いなくこれから増え続けるだろう。他人事のようだが……

 俺はどうすればいいんだろうか→本気出して生きる