官僚さんがやってきた

 財務官僚さんの話を聞きに行ってきました。本音で語ってくれる、若くて熱い方
 霞ヶ関は衰退しているといわれてても、ああいう人が頑張っているんだから、大丈夫な気がしてしまう

 官僚の仕事について大まかに説明してくれた。要するに政策をたてる。経験、知識、幅広い視野、体力、根性、社交性、頭脳、人徳、情熱……全てそのために必要なもの。拘束時間も長く、金を使う暇もないし、使う気さえ起こさせない、全人格を傾注するお仕事
のようだ
 中立的でしっかりした舞台で、知的で大規模なチャレンジができる、それが官僚の魅力という。聴いてて魅力的に思えるのは、やっぱり語り手が「天職」だと思えてるからなのかな。僕の尊敬する方が師匠に決めた理由がなんとなくわかった

 「国のために何かしたい」という情熱。勉強しまくって仕事しまくって、国を動かしてく。今、「落日燃ゆ」に引き続いて城山三郎の「官僚たちの夏」を読んでるけど、60~70年代の霞ヶ関が舞台の作品だけど、底流のスピリットは同じなんだなと感じている

 政策決定段階での透明性などは今後官僚に求められるもの。結局不透明な形で腐敗した一部の官僚が、今の官僚バッシングムードを作ってしまった。国Ⅰ試験の受験者は10年前に比べて激減していて、優秀な人材が官僚に来なくなると……
 とはいえ透明性を突き詰めたらなんにもできなくなるのは確か。そもそもが非民主的な存在なのです。でもその存在が許されているのは「手続きの適格さ」が担保されているからこそであって、そこの部分をはっきり示さないと不信感が生まれてしまうよねって話

 あと語学できない奴とか市場価値激減だから、みたいな話も。国内外に関わらず、普通に英語ぐらいサクッと出来ないと今後生きてけないみたい。倦まず弛まず!喋りは必要意識が高まってからだけど、とりあえず英語文献をサクッと速読処理できるぐらいにはしないと(合格するためにも)

 出世競争が激しいと言われる官僚ですが、実はそんなこともなくて、同期少ないしみんなお互い切磋琢磨しあう関係だとか。てかそうでないとやってられないそうな。メディアのイメージづくりってのは本当に強烈な威力だなぁ……

 情報先行の社会になっていく中で、「広報」のスキルってすごく大事になってくる気がする。昨日配られた厚労省の高校生向けの健康パンフとか、もーっと改善する余地があるはずだ。もし俺が官僚になるなら、そういう技を引っさげて行くのも面白かろうな。文章力とか読書経験とか、ゲームとかアニメとかマンガとか一通り見てきたのも、あるいは生かせるかもしれない

 忘れないために、聴いた質問だけ
・縦割りについて
 法律でかちっと組織が決められている以上、縦割りがデフォルト。もちろん不合理なところは多々あるし、そこを改善する必要は凄く大きい
 消費者庁もいわば切り口を変えただけで、いずれまた別のラインの縦割りになる「消費者のことばかり一元的に考えてていいのか!?」なんてことになるんだろう

・「第一の権力」マスメディアの害をいかに合法的に防ぐか
 「表現の自由」って、昔の「統帥権」と同じように暴走してる感じはするんだなー。何よりも責任を持たねばならぬ「自由」なのに、先を見ないで書いている記者たちは数多く……
 官僚バッシングも当然功罪はあるけれど、閉塞感の表れなのでしょうか?それでも官僚組織を衰退させた先のビジョンがマスコミにないのであれば、ただのクラッカーに過ぎないんだろうな。今のところマスコミについては自浄作用に期待するしかないのか?新聞社とかは情報社会の中で淘汰されていきそうだけど
・「優秀」であるとは?
 オフレコ