勝手に召さないでください
勉さんが授業で、亡くなった後輩の思い出話をした
とてもよく出来た子だったそうだ。「日本人はえてして死者を美化するけど、あいつは本当によかった」と言っていた
白血病
闘病しながら、健気に回復を祈って、病床でも勉強して頑張っていたという。何をしても、弱音一つ漏らすことは無かった。まじめで芯が強くて穏やかな、よく出来た子だったという
うちのカナダ人教師は彼の担任団の一員だった。文集で担任団へのアンケートみたいなのをとったことがあるらしい。「尊敬できる人」として、彼はその子の名前を挙げたという。恩師でも誰でもなく、白血病と戦う小さな教え子の名前を
彼の死を語る勉さんは辛気臭くもなく、軽やかだった。けど悲しそうでもあった。長い教師生活で、何人も自分の教え子の世代の死を見てきたのだろう。O森もそう言っていた。自分より若い人間の葬式は、何度いっても慣れない、勉さんはそう言った
「俺みたいな奴が生きてあんないい奴が死ぬ。本当に代わってやりたい」と、そういうと化学のT翁が「よすぎるから、神様が三途の川の向こうから呼んだんや。俺らみたいなんと違って」と言ったそうだ。佳人薄命を受け入れる理屈として、それは知っていたけれど、今日聞いた言葉は重みが違った
後輩は、苦しみながら必死で生きようとして、眠るように力尽きた。一方で毎日のように多くの自殺する人間がいる。その命をあげてやれよ。ほら需給市場が出来たじゃないか。いらないんだったら、いくらでも出すから、売ってくれればいいんだ。
そして勉さんの「俺も切り替えるぞ!切り替えなあかん」という言葉が切なかった
尊敬さえできる教え子が死んでも、泣き伏せることさえ許されない。後輩が山を迎えてるって話を聞いて、寝付けなかったという勉さん。愛する教え子が死んでも、休むことはできないし、悲しみを押しこらえて笑って思い出を語っているんだ
『ポッポヤはどんなときだって涙のかわりに笛を吹き、げんこのかわりに旗を振り、大声でわめくかわりに喚呼の裏声を絞らなければならない』
好きなだけ悲しむことさえ許されない。生きていかねばならない。いくら泣きたくったって、仕事は待ってくれない
大人になるってのは、そういうことなのかもしれない
改めて、ご冥福を祈ります。送るべき言葉は、わからないけれど、幸せであってください