自ら計らわず

落日燃ゆ

落日燃ゆ

 広田弘毅。教科書には二・二六事件後、軍部大臣現役武官制を復活させ、軍備拡張計画のアクセルを踏みこんだ首相としか記されない、「細字」の人
 彼が戦犯として極刑を受けた、唯一の文官であることを知る人は少ない。そして時代の大波の中を高潔に生き抜いたことを知る人も少ない

 「自ら計らわず」という生き方を貫いた外交官の鑑として描かれている広田。石工の息子として生まれ、縁に恵まれて外交官になった。俺が俺がと功名心に逸ることなく、静かに自分のできることをなしていく。誠実で良識にあふれ、それを押し売ることもないその人物は、必ず誰かに理解されていった
 淡々とした筆致で、日記など実際の文言を引用しつつ、歴史を追う群像劇だ。決して飾らない、事実の筆記。それが見事に、昭和の日本を背負った人たちの息吹をまざまざと伝えている。決して深入りしているわけではない、でも登場人物の人間像が鮮やかに浮かび上がる。著者の深い知識と調査に裏打ちされていれば、技巧に走ることは全くなくとも、描かれた人たちが読み手の心に蘇ってきて、動き出す。歴史小説はスゲェな
 吉田茂松岡洋右幣原喜重郎近衛文麿板垣征四郎西園寺公望昭和天皇東条英機……数え切れないほどに多くの人が現れる本だが、混乱することは全く無い。構成の上手さでもあるし、それだけ人物がくっきりと浮かび上がるからだろう(元々こっちに知識があるから、ってのもあるのかな)

 必死で積み上げた外交努力を「統帥権統帥権!」と一瞬で蹴散らしていく軍部。どうしようもなく逆らえない、理不尽な力の前に、彼は決してひれ伏すことはなかった。自らのいるところで、全力を注ぎ込んだ広田弘毅。「国を守る」という外交官の使命に賭けて、決してくじけずに立ち向かい続け、そして自らをとことん邪魔した軍人たちと十三階段を登った広田弘毅
 淡々として事実を伝える中で、まぎれもなく表れてくる著者の悲痛な憤怒が胸を刺す。狂乱する軍部を非難し、生き延びる資格は、彼にこそ、他の誰よりも彼にこそあった。しかし、使命を果たせなかった責任を誰に押し付けることなく、一切証言せずに、先に自ら命を絶っていった死者たちの罪もまとめて背負って逝った彼の背中

 タキシードでもモーニングでもない、「背広の首相」。その人生は悲劇的だけれど、悲劇さえ揺るがすことのできない、広田弘毅の生き様に感動し、そしてそれを十三階段に送った戦争の狂騒に深い憤りと悲しみが湧いた。

 「戦争しちゃえばいいじゃん」「日本も軍隊もて!」と、この本を読んで言えたら、僕はその信念は本物なのだと認められるかもしれない。


 さて次は「官僚たちの夏」でも読みますか。民衆思想はしばらくお休みで。宿題もしなきゃならないんだけどねー