終わるはずの無い愛が途絶えた

タイトルに特に意味はないですが、あと2日しかないじゃないですか!夏休み!

色々と積み残しだらけで、こんなはずではなぁ……っと悔いが残っちゃいます。何をやっとんだ、変わるとか何とか言っといて

詰む→逃避→逃げられない!→さらに詰むという、なんか前もやったようなことを何でまたやってんのか……俺が内面からして無能だからか?他人の信頼を食いものにするわけにはいけないんだけど、気づく前に引き受けてしまったTaskが多すぎて精神的に疲れる

もう少し踏ん張ってれば、現状はある程度よくなってたと思うんだけど、それが出来なかったのはやっぱり貧弱だからで。そのくせ楽天的にあれこれやってしまうもんだから

思えば去年を繰り返しているのか?俺は。何も学ばないのが真の無能なんじゃないのか。まだ進歩を止めるほどに達観してはいけないことは分かっているが、どうすれば自ら歩を進められるのか?全部答えは出したのに。忘れっぽいしフットワークが重い


何とかせにゃならん。色々暗澹としてくる気がするが、どうにかするしかない。しかし俺は本当に分かりやすく上向きに生きていける人間なのだろうか?あまり確信が持てないし、そうじゃない気がする

なら、どうするってことになる、が、今ひとつ見えてこない。正副会議で聞いた、Role Modelを発見する、という作業。要するに自分にとって理想の人であり生き方が何か、具体的な写真があったほうが分かりやすい気がする

相変わらず不安を抱えたまま、目を背けることで、自分を鈍磨させて腐らせる生き方をしててはいけないと決めたのだし、どうするかは考えたはずだ。後は実行するだけ、で、なんでまた同じ穴に落ちるよ?

自分が操作できない部分が多すぎるから、自分ばっかり観察して内向きになってしまうのかもしれない。言葉が多義的になるけど、意識と肉体の独立行動か。脳と意識と精神について、まとまった理屈がないと、これ以上考えは深まらないだろうから探してみようそうしよう

何をするべきかは見えているのに、なぜ目の前がぼやけてそこに現実味が出てこないのだろう?自分でも自分の身体が時々不可解になる、というかいつだって操作できない部分は不可解なんだが
mixiで同級生が複雑な文章で論じていたけど、「自己の理想を具現しようとしたときに生じるギャップ」は俺の場合色々と鬱になるほど大きなわけで、彼の言を借りるならばまさに「練習あるのみ」ってとこなんだろうか?
自分操作の練習。言葉では言えるけれど、果てしなく不安。動けないぐらいに不安なのは、やっぱり動くしかないわけで。しかしやはりそれでもすぐ身体が動かなくなる、と。モチベーションがまた足りなくなっているのか?色々書いてたよね、自分で


大体のところ、答えは出したはずだ。自分ができないとは思いたくない。「やるしかない」ということを、開き直って受け止められないなら、本当に処置なしである

自分の操作法、説明書でもあればいいのだが。バッテリー不足かコマンドか、何が問題なのだろう。多分あと数年この状態が続いたら、俺は自殺しそうな気がする、なんか客観的に見て


計画性、実行力、継続力。云々かんぬん、具体的なものの実現に必要なもの。それは正面から相手をしないと鍛えられないわけで……。なんかこう、やっぱり自分に甘いな俺は。わかっていても動かないとか、本当に処置が「やる」「切り上げる」以外に無いんだから、そうすればいい。それが出来ないで夢うつつのレベルに意識を下げてしまうのは、ホントに腐らせてしまうから何とかせにゃならんねんってことを言っているジレンマ


決める。決めたことをやる。それだけなのに、なして出来なかとですか。

もう少し頑張らないと、生きていけない