夢と希望

 親父と日本シリーズについて話してみて気づかされたんだが、「野球」と「プロ野球」は別物だった。これを分けて考えたうえで、もう一度書いてみよう

 落合はリアリストだ。彼にとっての「現実」は試合やリーグ戦における勝利である。そのためにはあらゆる手段を辞さない。勝利の確率を上げるためなら完全試合だろうが関係ないし、奇襲だろうが不意打ちだろうが何だってやる。自軍の雰囲気が盛り上がらなかろうが、ポーカーフェイスを通して相手に感情を読み取らせない。

「勝利」という言葉は絶対的にいい言葉のように錯覚していたが、そういえば落合は何のために勝利を求めるのか。色々と理由を考えたが、結局「自分のため」が一番大きいのではないだろうか?少なくとも俺にはそう見える。確かに優勝すれば他人を喜ばすことはできるけれど

 プロスポーツを観にくる客は何のために金を払っているのか?応援しているチームが勝つ姿を見るためか?だがそれなら、なぜそのチームを応援しているのか。そのチームが自分のシケた人生と違った、ドラマチックでかっこいい姿を見せてくれるからじゃないだろうか

要するにプロスポーツは夢を売る商売なんだと思う。憧れのプロ野球選手、誰もが羨むスポーツ選手たち。それは凡人たちの夢だ。凡人は金を払って彼らに感情移入する。華々しく人生を謳歌するスターを見て、憧れて自分を重ね合わせる。人々に夢を与えるために勝利は欠かせないスパイスだが、それは味付けに過ぎない。それ以上に夢みたいな美しさが大事なんだと思う

 つまり「勝つことが至上」というそれこそが、プロスポーツにおいては間違っているのだ。確かに強いチーム、勝つチームにはファンが集まる。しかしそれはより強くスターのいるチームが、客の心を掴み夢を与えられるからだ。楽天は弱くても夢があるから愛される

 落合の「結果が全て」というビジネスライクな味気のない考えは、最近の個人社会の反映だと親父は言っていた。身びいきに映るかも知れないが、納得できる。合理性を追求すれば確かに勝てるが、合理性で面白さは作れないし、プロスポーツはそういった閉塞した社会に疲れた人たちの癒しであるべきだ。そうでなければ意味がない。今のような時代だからこそ、なおさらプロスポーツは人情や美しさを重んじるべきなんじゃなかろーか

 落合の勝利至上主義はファンのためでもなく、プロ野球界のためでもなく、自分のため。だから受け入れてもらえず、中日はいつまでも憎たらしい悪役のような立場にあるんだろう。セ・リーグは面白くしようって気がない中日、金満政策ばかりのくせに結局情けない巨人、弱すぎる阪神、以下優勝争いと関係ない3チーム。今の野球人気の低迷はよく放送されるセ・リーグがつまらないからじゃないだろうか?そして落合はその一翼を間違いなく担っている

 あんまりまとまってないし、適当な論法だが、要するに、「面白くない」ってことだろうかw