夏の憂鬱〜Time to say Good-Bye〜

 この夏でなんかヲタクが一皮剥ける(当人がどうあれこちらが"見直した")のを多数見てきたが、やれやれ困ったことにいい方に見直したのがあまりないのは。

 んなこと言ってる自分だって改めて見直すとバカみたいに見える。ブログの新たな効能だろうか。

 アニソン云々の論議はさんざんやったし、今更やる気はないが、やっぱり「惚れた」とか「KOTOKOーッ」とか言ってるのを見たり、機器がアニソンで埋まってるのを見るとやっぱり釈然としなくなる。アニソンの音楽性を説くなら他の音楽性豊かなアーティストの曲も聴いていておかしくないのに。アニソンonlyの人がアニソンの音楽性を語っても説得力がないように思う。

 俺はヲタク文化とはかれこれ5年の付き合いになるし、二次元も特に嫌いではないが、この期に及んでヲタクがなんなのか分からなくなってきた。

 独自の趣味のようで他人を必要としていて、お互い知りきったことで話し続けていたり、不労所得を競うようにつぎ込み、買いあさっては棚やラックの肥やしにする。

 ブログだってたいがい露悪趣味だが、そこに自分の脳内彼女を登場させたり、自分で書いた絵を載せて叩かれまくったりする。

 他人のこと言えた柄じゃないかも知れないが、どこか間違ってる気がする。

 俺には収集癖がない。まぁ貯金が苦手なのはむしろ欠点だが、結果的に物を収集しない(キノの旅と撲殺天使は何故か買っているが)。

 それが結果的に深入りせずにすんでいる理由なのかもしれない。見ていると集め始めると深みにはまるようだ。深みにはまっているから集めるのかも知れないが、相乗効果だろうか。集め出すと他にも手を広げたくなり、結果、時間を費やしてしまうのか。

 本当はヲタクでありながら、ヲタクが嫌だという意識があるからなのだろう。だったら脱ヲタすればいいのだが未練がましいのと甘えたなので、ずっと足湯状態。二次元が嫌いではないからだが。

 ただ趣味と本業を履き違えているような、重度なヲタクたちを知ってから、どこか醒めた気分があって、それが歯止めをかけているのかもしれない。ヲタクが二次元を極めたり、ファンタジーを書きまくっても、それは社会を発展させたりしない。いくら限られた読者を喜ばせて、神と崇められても本当に意味があるのか。お笑いはいろんな人を笑わせて安らげられるが、ヲタクはヲタクを喜ばせるだけじゃないだろうか。

 そう考えるとさんざバカにしてきたアンガールズが自分より偉いような気が一瞬したりして、軽い自己嫌悪がある。ただ、この感覚をなくしてはいけない気がして、相変わらず時たま自己嫌悪してみる。結局何言ってるのか分からなくなったけど、読んでくれた人が少しでも足を止めて考えてくれれば、この露悪的なブログも無意味ではなくなるかもしれない。