創造性チェッカー

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1438110804

 次の35個の質問(創造性セルフチェック)をイエスかノーで答えて、貴方の創造性について自己評価して、その結果を要約して示すとともに【創造】という面から見た自己像を分析して説明してください。


①世の中の変化を肌で感じている
②情報源として確立したルートを持っている
③人と違う趣味を持っている
④興味と関心は幅広く、強い方である
⑤自らの仕事の進め方を変えた事がある
⑥提案の必要性を感じ、平均以上出している
⑦仕事上の問題を2〜3個、常に挙げることができる
⑧人のきづかない点に気づく
⑨他の人と同じ考えが出来て、かつ独自の考えもできる
⑩人と違う独立した認識、意見を持っている
⑪肉体的、精神的エネルギーを持っている
⑫妥協より徹底を好む
⑬空想にとらわれることがある
⑭ものごとにこだわらずにすむ
⑮複雑で多彩な生活を過ごすように心かけている
⑯人の話を最後まで聴くことができる
⑰自分自身の能力に自信を持ち、限定的とはいえない
⑱チャンスがあったら、それを生かす
⑲相談に乗るのが好き
⑳時間に無駄のないように管理している
21)チャレンジ精神旺盛である
22)客観的に物事をみることができる
23)厳しさを自分らつくりだしている
24)仲間とうまくやっていける
25)冗談を理解して、自分でもいえる
26)‘言葉、を大切に扱う
27)新しい経験を望む
28)記憶力は人並である
29)専門家といえる領域を持っている
30)質はともかく、たくさんのことが考えられる
31)飛躍したことも口に出せる
32)寝食を忘れて物事に取り組むことがある
33)いくつかの方法で表現できる
34)こんなことしてみたいと昔から考えていたことがある
35)目標はなるべく高く持ちたいと考えている

 さて果たしてステレオタイプなこの選択肢群で「創造性」が分かるのか分からんが、暇だからやってみる。

①世の中の変化を肌で感じている
NO。いつと比べてだか。「肌で感じて」とあるが、一次情報としては無い。二次情報ではたくさんあるけど。

②情報源として確立したルートを持っている
NO。現在探索中。ルートがあったところで、自分にはリテラシーが不十分ではある。

③人と違う趣味を持っている
NO。人と違う独自の趣味では交流が生じないわけで、つまらない。迎合的に「ご趣味」を選んでいるわけじゃない点ではYes。

④興味と関心は幅広く、強い方である
Yes。しかし自己認識に意味があるとは思えない。興味がわかないものを無価値として意味の抽出を怠るほど馬鹿でもないと思う。時間や労力の枠を超越して行動を増やすのは有害だとも思う。退屈は嫌い。

⑤自らの仕事の進め方を変えた事がある
Yes。勉強法は何度も変えた。大学に入るとなると、また色々変えていかねばならない。

⑥提案の必要性を感じ、平均以上出している
Yes。ワンゲルにしても生徒会にしても、「提案」が自分の存在価値だと考えていたので。

⑦仕事上の問題を2〜3個、常に挙げることができる
Yes……ってアレ?常に挙げてないでさっさと改善したらどうだろう。

⑧人のきづかない点に気づく
知らん。俺が言っただけで、みんな思いついていた可能性は多々あるから。

⑨他の人と同じ考えが出来て、かつ独自の考えもできる
NO。他人と同じ考えが出来るなんて驕った考えも無いだろ。

⑩人と違う独立した認識、意見を持っている
NO。反証がいくらでも出てきそうだし、自分は情報の結節点にすぎない。真新しいオリジナルが存在するとは思わない。

⑪肉体的、精神的エネルギーを持っている
嘉門達夫の曲、『アホがみるブタのケツ』の「熱あるんちゃうか?」「いや無いで」「熱なかったら死んどるやんけーwww」って歌詞を思いだした。ていうか計量できんのか?

⑫妥協より徹底を好む
Yes。どちらかといえば。とりあえず論理・実証的には徹底してくれてるほうが好き。自分にそれほどの能力が無いのが常に残念。

⑬空想にとらわれることがある
Yes。入学式とかで「さてここでネタばらし」とかナレーションが入ったら怖いなとは思う。

⑭ものごとにこだわらずにすむ
ものによる。理屈にはこだわってる。感じるままに生きるとか無理。ていうかどこかにこだわりが無いと人間一貫しない。一貫しないことにこだわることもできる。

⑮複雑で多彩な生活を過ごすように心かけている
Yes。多彩……かなぁ。そうありたい。

⑯人の話を最後まで聴くことができる
No。ワリとよく切ってるなぁ。話の腰を折ってる時は少なくとも自覚的にはしてるけど……

⑰自分自身の能力に自信を持ち、限定的とはいえない
誤植?No。自信とは何か、相変わらずよく分かってない。

⑱チャンスがあったら、それを生かす
Yes。ただチャンスを的確に発見できるかどうかはわからない。みすみす逃すことは避けたいが……。

⑲相談に乗るのが好き
Yes。話すのは自分の経験の言語化に最適だし、しかも相手がじっくり敬意を持って時間無制限的に聞いてくれる姿勢でいてくれるときなんて、相談を除いて少なかろう。

⑳時間に無駄のないように管理している
No。管理は苦手です(汗)

21)チャレンジ精神旺盛である
微妙。その時のテンションによりけり。

22)客観的に物事をみることができる
Yes。……錯覚の可能性はある。大いにある。ていうか多分基本的には「客観的」は錯覚。ただ錯覚が引き起こせるくらいに徹底しようとは心がけているので、「主観的すぎる」と批判されることはあまり無い。批判されない原因が他にあるのかもしれないが……。

23)厳しさを自分らつくりだしている
No。基本的に自分の仕事にはしなかった。他人への厳しさを維持するのは精神力がいるのはわかる。安直なセリフでごまかさないでおこうとは思っていて、それを「一種の厳しさ」と捉えてくれる人もいるかもしれんが。

24)仲間とうまくやっていける
ダウト。うまくやっていけてる人が仲間じゃないか?
自分が好意を持っている相手が、自分に好意を持ってくれているか、という点ではそれほど失敗していないが、確認を取れないので不明。

25)冗談を理解して、自分でもいえる
Yes。なんてったって関西人〜♪

26)‘言葉’を大切に扱う
Yes。基本。

27)新しい経験を望む
Yes。退屈は嫌い。

28)記憶力は人並である
No。日本語による因果関係の記憶は優れていると自負している、というか「自分がどうやったら覚えるか」は結構考えた。

29)専門家といえる領域を持っている
No。今のところは。

30)質はともかく、たくさんのことが考えられる
Yes。一つの答えでとどまるまいとはする。

31)飛躍したことも口に出せる
No。飛躍したまま放置しないようにせんと説得力が無い。

32)寝食を忘れて物事に取り組むことがある
Yes。体験記。

33)いくつかの方法で表現できる
Yes。というかNoの人いるんかな……。得意なのは日本語の文章。

34)こんなことしてみたいと昔から考えていたことがある
No。

35)目標はなるべく高く持ちたいと考えている
Yes。志かねぇ。中二病的推進力の勢いを殺さずに着地するのが目標。

この『中二病』がーッッ!

 退屈だからこのlough-makerがッ!『ジョジョの奇妙な冒険』的にッ!『中二病』に対して発言させていただくッ!(ドドドドドドドドドド)


「『ユニーク』でありたいんだよォ〜〜〜ッ!!」って『魂』の叫びをッ、「あぁ〜オレは世間並に生きるしかねぇんだよォオ〜〜」って『無力感』やッ!「やぁだ必死なんてダサいワァ〜もっとCoolに生きなさいよォ〜」なんて『羞恥』でッ!押し殺し踏み潰し息の根を止めちまうことを、中二病の『解決』だと誤解するんじゃねぇッ!!
「Jpopなんてダセーぜ、プログレスなオレァ『ブリティッシュ』にキめてやる!(まずは尊敬する“ブチャラティ”にちなんで『ローリングストーンズ』だな)」とか、「誰も着ていってねぇスタイリッシュな『ジーンズ』だッ!!」とか、程度の低い『選択』を積み重ねて、グラビア雑誌の広告スペース的な「あなただけ(はぁと)」に陥る愚図な中二。腕に『邪気眼』を書いたり、『スタンド』でもあるかのように格好をつける粋がったガキ。そういう連中が中二だが……、奴らの根幹にあるのは、「オレは『特別』であるべきなのだッ!」という『黄金の精神』だッ!それが人間を高みへと導くッ!
 わかるか?安い次元でなく、努力と汗、時に血の先にある真の自分だけの『世界』ッ!それを無意識が欲する時に、『中二病』が発現するッ!!!
 聞いてるのかァ“ママっ子(マンモーニ)”ッ!『中二病』はなァ、「病」じゃねぇッ!必要なのは『快復』でなく、『卒業』ッ!「『大人』になれよペッシィ〜〜〜ッ!」と戯言をぬかすくたびれたカスどもの相手をするなッ!見ろ、光を失った眼をッ!熱を失った頬をッ!奴らに『黄金の精神』があるかッ!?奴らの仲間入りしてオメデトウが『快復』って奴だッ!そういう奴らがてめぇに理解者面してすり寄ってきたら、どう言えばいいか分かるな?「だが断る」だッ!

『卒業』するんだペッシ!間抜け面の週刊誌の記者も絶対に見たことがない『地平(オリゾン)』にだッ!歩き続け倒れたとしても『前』ッ!『前』ッ!『前』ッ!てめぇを引き止めようとしねぇ奴こそが真の『朋友(とも)』だッ!それ以外には営業顔だけ向けておけばいいッ!『常識』は従うもんじゃねぇ、『使う』もんだと知れッ!


 おっと時間だ。それじゃな。“Heil 2 U!!(君に幸あれ)”

議論記録 老人と×

 痴呆症は「近代的個人としての死」という話とか。

http://d.hatena.ne.jp/G-neco/20100314

G-necoさん
「自分の力で生きる」というのが僕の人生方針と言ったけど、じゃあ自分の力で生きていけなくなったら「僕」は死ぬのかというとそうではない。そこで他人に助けられる中で幸せを見つけていけばよい。ただ、僕は(こういう言い方は良くないしもっと適切な表現があるはずだが)他人に迷惑をかけてまで生きることには(申し訳なさすぎて)耐えられないからそういう選択は避けたい。ここにも恐怖の根があるような気がする。しかしそれは単に僕の個人的な性格。だからここはあくまで僕個人の主義・スタンスを述べている色が濃い。

僕は人生方針を先のように挙げたけど、それは以上のように一般論とは違う話として言ったわけだね。そしてこう見ると僕が感じる恐怖の原因は僕自身の内部にあったわけだ。これで僕が(たぶん)他の人より大きな恐怖を感じる理由も説明できたのではないだろうか。

…などと話を締めにかかっているがまだこの問題に決着がついたとは思わない。この先また考えが変わるかもしれないし、新しい要因が見つかるかもしれない。僕自身としても全てを説明しきれたとは思えない。しかしとりあえず今回はここまで進展したということで。


lough-maker 2010/03/15 00:44
 んー、死は比喩のつもりでした。大雑把な理解でしかないのですが、理性・自己・交換能力といったものは、近代的な個人の持つべき「属性」であり、それが認知症によって失われたら、近代的な視野からそのヒトを見れば、もはや個人と認識するためのタグが残っていない。つまり、死者や非人間的動物と変わらない。そういう意味です。

 僕自身、祖母が認知症で、この話はずっと疑問というか、悩んでいます。とりあえず今回のレスポンス等は、なるべく一般性を持たせて考えてるところです。

 さて、当然、人間はそういう個人主義的な認識を持つと同時に、命へのよりウェットな認識を持っているわけで。おばあさんは猫さんにとっては「死」んでなんかいないし、実際生きている。そして猫さんが敬愛を注ぐ対象として存在意義を持っている。
 けど今のおばあさんは、あなたが過去愛した「おばあさん」とは違う。姿かたちは同じだとしても、精神は別物。何というか、感覚と事実が乖離して軋んでいる。その苦しさを、僕は祖母を見るたびに思います。

 祖母にも確かに「心」はあります。しかし、今ある「心」を僕はかつて祖母が正常だった頃に見ていたのか? 僕にはわからない。僕が祖母だと思っていたのは、彼女の外部にすぎず、「心」のような『想像するしかないもの』ではないように感じます。
 だから結局、猫さんの言う「心がある」云々は、単純に命だから大切だというもので、それが「祖母としての生」かという問題を避けている気がしますね。
 祖母は変わってしまった。けど、変わらない部分もある。僕がこの時この瞬間、知覚しうるものでは全くの別人だけれど、それでも振り返れば彼女は僕の恩人であり、決して無下にはできないと感じています。報恩意識でしょうか……。

lough-maker 2010/03/15 00:57
 ところで猫さんにとって「めいわく」って何ですか?
僕は東大や灘中に受かるに当たって、一人ずつ落としたはずですし、東大特進の特待で甘い汁吸ってきましたし、それに限らず確実に誰かに厄介をかけている。選択するしないに関わらず、誰かにとって既に「めいわく」です。
 そりゃ敢えて他人に害を与える気は僕も無い。けれど僕が存在することで誰かが不快になっている。悪意が直接僕に飛んでこなくとも。別にそんなこと言ったって、何もしないですけどね、身の周りのこと以外。
 僕は偽善でしょうかね? ご意見お待ちしています。

G-neco 2010/03/15 23:13
(どんどん文体が素のフランクなものになっていっているけどご容赦を。)

>問題を避けている
確かに。ラフくんが個人・人間と言ったのはアイデンティティとしての意味を持たせていたわけだね。あれだね、ここでの「死」とはアイデンティティの崩壊とかそういう意味だね。僕は人権とかその辺りのことを考えちゃって、「生命の尊厳」をもって「生きている」と言ったけど、ラフくんは「個人の尊厳」をもって生死を(比喩的に)考えていたのか。そうか、だから「近代的な意味での」ということなのか。うん…そうだ、それは当然思いついてしかるべきテーマだった。しかしちょっと難しいね…。そういった形でのアイデンティティ喪失というのは考えたことがなかった。ちょっとすぐには言うべきことが出てこない。申し訳ない。

>「めいわく」って何ですか?
上で「迷惑」と言ったけどこれは僕の意図を正確に表せていないのでもっと必要十分な言葉に直したいんだけどね。大まかには、一般的な、誰かに何かをしてもらったときに「すまないねえ」というあの気持ちを感じてしまうということを言いたかった。
>僕は偽善でしょうかね?
少なくとも受験で「他人を蹴落す」とか中堅受験者層から「甘い汁を吸う」とかいうことが「めいわく」であるとは思いませんね。「周りの受験生はみんな敵」とかも同じです。僕はそういう見方は妥当でないと考えます。
僕は受験とはマラソンのようなものだと思っていますが、マラソンで入賞する人は「他人を蹴落して勝った」と言えるでしょうか?その人はそれなりの対価を支払ってきたはずです。それは敗者から奪ったものではなく自分で積み上げてきたもののはずです。
僕は現役のとき落ちているのでこう言いますが、僕は合格者に「落とされた」とは思いませんし、そう思うのは不健全です。単純に積み上げてきたものの差であると僕は考えました。
受験においては、胴元がいて、ルールがあって、みな同じ問題(しかも学力だけが測られる)を解くのですから、スポーツマン精神のように素直に実力の差が結果であると認めるべきです。たとえ責められるとしてもそれはルールや審判の判定であるはずでしょう。
熱くなっちゃったかな。まあ、「落とした」とかは考えてほしくないな、と言いたかった。しかし、上ではまるで受験が完全に公平であるとでも言うかのように書いちゃったけど、まだそこには考慮すべき要素はあるよね。ここでそこにまで触れるつもりはないけど。
受験以外ではどうだろう。「低賃金労働者から搾取することで現在の豊かな生活が成り立っている」云々の話も「めいわく」に関わってくるだろうね。こういうのって倫理学とか哲学が何らかの答えを出してそうなもんだけど。資本主義社会の構造が悪いだけだとか言って済ませるのは逃げてるみたいだしなあ。「めいわく」とは違うかもしれないけど、「飽食の日本に住んでいてアフリカとかの貧困に罪悪感を抱く」とかいった話も似たようなもんだよね。そこで感じる「罪」の意識とは一体何なのか?我々は「罪」を感じるべきなのか?「罪」であったとすれば我々はどうふるまうべきか?疑問は出ても答えが出ない。まだまだ勉強不足か。とりあえず、そういったことを偽善と言っちゃうのはあまりにもあんまりだという気はしますけど。

lough-maker 2010/03/17 08:39
>アイデンティティの崩壊
 なるほど、その表現が確かに的確かもしれません。同一ではなくなるという。
 僕の場合、死には3段階を考えています。理性的な判断力を奪われる「精神の死」、言わずもがな「身体の死」、忘れ去られる「存在の死」という感じで。
 しかし何をもって「精神の死」とみなすかは正直なんとも。「常識的に考えて」人を死んでるとか言うのは明らかに暴力ですからね……。「あの世に肩まで漬かってる状態」とか言うのが適当なのか?とか考えてたりします。『死』と言い切るには、吟味不足です。

>すまないねえ
 んー、罪悪・感謝・報恩責任を感じることを避ける、というのはどうなのでしょう。対価を何らかの形で支払わねばならない(計量不可能だとしても)という思いはありますし、親や先輩などからは、返せないほどの恩を享けたとは思うのですが……。
僕自身は享けた分を誰か違う人、社会などに還元できればなぁと考えています。そこから「自分で生きる」という方向へは行かないですね。

>受験
 猫さんの受験観には賛成です。ただ、それに同意しない「不健全な」人間がいて、僕を逆恨むこともある。
 それに直面した時、「迷惑をかけない」生き方はジレンマに陥るんじゃないか?ということです。迷惑は相手の感覚次第ですから、それに生き方を委ねるのは主体的なあり方じゃないだろうと。「常識的迷惑」なんてのを想定して、相手の不徳を否定して切り抜けるのも危なっかしいので、僕はやりたくないですね。
 とりあえず受験とマラソンの違うところの一つは、受験は強制参加であるところでしょう。少なくとも完全な自由意志で選ぶものではない。「受験なんてしたくなけりゃしなけりゃいい」という言説は、少なくとも気がついたら灘中にいた類の人間にとっては暴言です。経済的自立すら出来ていないのに選択の全面的自由があるわけないでしょうって話で。選べたところで学部と大学まで。よっぽど意識が高く、自信と能力があり、理解のある親を持った人間じゃなければ、そうそう受験を避けれるわけもない。
 まぁマラソンだってプロアスリートなんかなら「気がついたら走っててそれしかなかったのさ」って人もいるでしょうけど、東京とかホノルル走ってる一般参加者なんか自由意志ですから。自由って何だって議論はおいといて、です。
 まぁいずれ訪れることが分かっている受験に対して、十分な準備をしなかったのは愚なわけですし、確かにある程度よーいドンでやっちゃいるんですがね。見方を変えれば「愚とみなされる」だけとも思えなくはない。受験を運命だと思って宗教的な心地でやるってかなきゃならん。……僕自身、何がいいたいかはよくわかってないですが。

>搾取構造
 まぁ確かに搾取は僕が意図的にやったわけじゃないし、僕がやらんでも誰かやってたわけで、構造を変える力も一受験生の僕には無かった。僕以外が僕を弾劾するのは不当と言っていいw
 資本主義的な搾取の構造の受益者であるという自覚を持ってしまった以上、構造に対抗できなくても加担しているわけで。それはまぁ帝国軍の兵隊のようなものでいたし方がないといえばいいんですが、僕が罪悪感を持つのも勝手なわけです。
 どうせ完全にフェアにすることはできないのですが、とりあえずわずかでもフィードバックできるようにかなり詳細で本格的な合格体験記(という名の大学受験観)を書きはしたのですがね。出すところが出すところですから、どれほどの効果があるやら。

 とりあえず「責任」や「罪悪感」については僕もしっかり勉強して、もう少し明確に語れるようでないと……まとまりが悪くもうしわけない。