生きてる意味なんかない、だけど死にたくもない

「自分が生きてる意味があるのか」という問いをよく自分に投げかけたものだが、この問いは不完全だと思う。"何にとって"という限定を伴わない意味はないはずだからだ。"自分にとって"が省略だと解釈したら、なおさら自明な問いになる。近代的な認識だが、自分は絶対の原点なのだから。自分が無くなればすべての座標が無くなって、何の意味も価値もなくなる。


 生きてる意味を"見失って"(ありもしないものを見失うのもおかしな話)自殺やらに走る人も多いようだが、自分にさえも「意味が無いから消えるべき」という信仰を適用する暴力性には驚嘆する。まぁ今の社会の原理がそういうのだとしても、自分が採用するかは別だろう。「価値は人それぞれ」なんて言葉を口にしながら、無自覚に意味の絶対視に囚われている人は多そうだ。

 人間は意味だけに押されて動いるんじゃないのは、今更いうまでもない話だ(非意味的なモチベーションに強度とかいう用語があるようだが、詳しくは調べていない)
 そんなこと分かってるはずなのに、いざ頭を使い出すとすっかり忘れて「無意味即斬」の橋下的境地に至るのは浅はかな気がする。

「死にたくない」という非合理な声が、結局は生を選ぶ根拠になる。今のところ、そういうとこに舞い戻ってきている。