今度こそ最後の授業

今日こそ、最後の授業だったんですね。
けどまぁ、M川なんかは俺が50になるくらいまでは戻ってきたらいるんだろうけど。
チリ海さんとか、ホント、最後だもんなぁ……いい授業だったよなぁ、寂しい。
ミクはまた「民衆の歌」唄いましたね。せっかくだから一緒に口ずさんでました。
O森との縁が切れることはどちらも死ぬまでなさそうなので気にしません。なんか俺を心配し、小言を言うことに変な使命感を燃やしている節があるので手に負えない奴です。彼曰く「天然って言って諦めてる教師より俺のがマシ」とのことですが、ねぇ。顔を合わすと嫌味を垂れるので、いくら悪意がないとはいえ、面倒くさいですね。自分に天然ボケの気があるのは否定しませんが。


今日の後輩巡りツアーは久しぶりに後輩のひろ君と話したり、ワンゲルでまたグダグダしたり(1時間くらい寝袋にくるまって昼寝してました)、後輩らが開いてる座談会的な集いに混じってBB君の哲学的な話を聞いてシンパシーしたり、途中で入ってきたKKにびっくりされたり色々面白くて、とても楽しく、充実感がありました。

ここ4日ほどは親友のお悩み相談をしたり、Aislingに懺悔したり、後輩と話したり、結構久しぶりに他人と深い話が出来まして……なんスかねぇ、こう、『生きてる実感』とでも言うんスかねぇ〜!そーいう気分なんスよ!要は最高に『ハイ』って奴だ!はい調子乗りましたすいません。


けど、しまじろう(仮)にせよ、BB君にせよ、考えてることが高1離れしてるというか、深いな、と。色々深みにはまるのは得意だったけど、あの頃の自分には、「何も本質的なことは断言できない」って段階に至ってた記憶はないし、つーか今の自分だって、「自分が個である限り、物事の客観的な真実は捉えられない」って思う次元を抜け出せないでいるんです。
BBの話を聞く内に少し新たな観点が思いつきつつあるんで、価値や意味に対するニヒリズムをきちんと克服していける日が近づいたかも。ずいぶん有意義なもんでした。価値や意味の存立基盤になってるぽい「社会」とは何なのか、どういう働きを持ってるのか、そんなことを考えてくともうちょっと進展してくれるかな、なんてね。現状では生産的かどうか、みたいなごく普通の価値観でも、採用するのが怖いのです。まぁ抑圧ですがね。少なくとも、そういう哲学的な時間潰しを僕が肯定的に捉えてるのは事実で、色々僕にもあるのでしょう。


しかし、受験と絡まない話題を真剣にはなせる機会が、これほど嬉しいとは思わなかったです。いや、やっぱり色々ストレスが積もってたんでしょうね。勉強してもなんか虚しい、とか。屈折した感情を持ち続けていたので。


ここ数日付き合ってくれた人らに深い感謝を。


では公約通り、勉強しますよっ。1ヶ月の辛抱ですしねw