つながり

つながりたい時だけつながるようなコミュニケーションのあり方は、結局相互の自我が対話の中で次々と変わりゆくようなダイナミズムを味わえないのだと思う。
コミュニケーションの発生すらも、一種自ら管理できないという対面の関係。全身で相手の存在を感じる、そんな不可避的なコミュニケーションこそが、人を高い次元に導くのではないかとか思った。



まぁ弁証法っぽいものの丸コピですね。すいません。
でもまぁ、対話は言語概念を超えた部分でも成り立つというか、誰かと会い、話した後の自分が、単に言語概念領域にとどまらず、自分でもわかるほどに変わることがあるわけで。
まぁ変わることが怖い、というか不足を知るのが怖いのはありますが、しょーもない自己満に浸らず、人との繋がりの中にたゆたう存在として自分を捉えられるような飄々とした心であらねばな、とか。人と一緒にいて楽しく話してたら、それだけで大体の悩みはどうでもよくなるよな、とか学校に久々に行って感じました。


生きている他人といることで、自分が生きていることも少しは呑み込めるのかも。「生きてる実感」がどうとかそんなクサいことが、どうでもよくなってくれるかな。
一方で囚われない個、自由な精神を持つことは憧れるのだけれど、けどもっと力抜いて、自分の輪郭を薄めちゃった方が、気楽だし面白くなってくれるかもしんないな。


まぁ結局その日のノリかもですねー。