必勝なんとか法

固定された他人のやり方を無批判に取り入れて勝てるかってーと難しい気がする。受験の話ですが(センターも至近距離になり、明け暮れ受験受験ですね。やれやれ)
他人が、時間も、状況も、ほぼ全て違うコンテクストのもとで行った方法、全く掠りもしないのが普通なのだと思う。そもそも受験勉強法は検証可能なのか疑わしい。多くの勉強法に相対的優劣はつけられまい。データを用意するだけで発狂モノであり、極論、他人の頭の中が覗けない限り断定できない。

けど僕は色々なスタイル・論理から一つ、選んできたわけだし、世の合格法をみて、感じる説得力には差がある。
僕は「何が正しいかわかりえない」はずなのに「正しさ」を比較できる。いや、「正しい」ではなく、「正しそう」だと感じることができる。
何を根拠に比較しているのだろう

僕はすでに答えを知っていて、言語化されないそれに肉を与えるメソッドに惹かれるのだろうか。サンバ術的な話で。
まぁおかしくはないな。だって散々勉強してきたのだもの。中学受験、校内レース……僕はそこでまずまず成功してきた。だから自分の感覚に対する自信を根拠に、結局メソッドを選んできた。
ぶっちゃけ、どのメソッドもそう離れちゃいない。少なくともそのメソッドで成功した人間がいるなら、道が細かろうが曲がりくねってようが、ゴールへは繋がっている。だからメソッドを選んで、前進してしまえばいつかたどり着くはず。
大体保守ってりゃ間違わねえ。未体験のことに臨む上で、迷いを絶つために、権威にしがみつくのはよくあることか。だから「間違った合格法」なんかないのかもしれない。たとえ未だ誰も成功してない方法であっても、自分が最初の合格者になるかもしれない。だから「間違い」とは言い切れない(採用するかは別だけど)


最近はどこか未来に対してニヒルな態度になってきている。危険な兆候かもしれない。
「怠惰を認める道と認めない道があれば、認めない道が正解だ」とエインズリィのくれた演説にあった。
ニヒリズムは逃げの美化、というか全てに修正液をぶちまけるような行為にすぎない。それは恐らく「対等」、「中立」、「俯瞰」、「超然」などではなく、もっと幼児的な何かなんだろうな。負けかけの試合でリセットボタンを押すような。


話が飛んだけど要は、超然的でありたい僕は道化じみてるなぁって、つまらない話なのです。