発話

「成績が悪い」の意味で「頭が悪い」と語られているのを聞いてギョッとした。
当然高3になってまで頭の良し悪しを成績でしか測れないと思ってる馬鹿はいないわけで、会話の円滑な進行のためにそう言ってるのはわかる。けど不愉快なので指摘したら「みんな(あくまで成績に限定した話だと)わかってる」から問題ないと返答された(まぁその話題は立ち消えになり平穏になったが)


僕には他人の成績(良いのはともかく悪いの)をネタに楽しむ趣味はなく、その時点で神経のつき方に違いを感じる。まぁいつもそういう「値踏み」が内心をよぎっては自己嫌悪するのが恒例なので、似たような神経かもしれない。
ただそれを「頭が悪い」と口に出すのは遙かなる距離を感じる。言語は思考であり、発話された言葉も結局は思考の断片。成績が悪そうな誰それを「頭が悪そう」と言ってのける人の脳内では、一度現実の事象が「頭が悪そう」という形で認識されているということになる。(頭が悪いって言葉は僕にはかなり強い意味に思える。身体的な罵倒語だし)
僕はその認識が自分の心中で生じた瞬間に叩き潰しては罪悪感を持つのだが。まぁ様々な過程で築かれた条件反射だから、持ってない人間に憤慨するのもアレだ。
成績は知性の指標にはならないし、それ以外の外観からある程度総合的に判断したとしてもやはり知性は外的指標で判断してはいけない(されない、とは言い切れない。知性的であろうとする人間として経験則的にありえない外見とかあるし)。そもそも他人を貶めて喜ぶのは下品だし(まぁそりゃ楽しいけど、ひとしきり笑って後悔する)


基本的にそういう会話に近づきたくないから、クラスの周辺部にいるのだろうな。