大学をどう選ぶか

 正直言って僕が東大を志望する理由は「逆算的」な物ではない。
 明確な将来設計は無い。会いたい教授がいるわけではないし、自分がこうなっているという予想は出来ない。
 逆算的というのは「僕はこの職業に就きたくて、このデータによるとこれこれこういう点でこの学部は強いから行くんだ」とか「僕は××の研究がしたくて、ここは優秀な研究成果を出していて予算も潤沢だから行くんだ」って、そういう「殊勝」な考え方のことだ。


 僕は僕自身の知性の水準がぐいぃーんと大学時代に上がってほしいナァとだけ思っている。だから僕が東大に行って「高3段階で予想できること」しか得られなかったら大学生活をやり直さなくてはいけない。高3段階の視野では言語化できないことが、僕の脳に刻まれてなくちゃいけない。だから僕が東大に行って得られることは「今この段階では言葉に出来ない何か」
 何が得られるんだろうなぁ。期待に胸囲が3割アップとかしたらいいんだけど。けど色々あるに違いないね。浪人してるよりは(これって殺し文句ですよね)


 そう「浪人」という概念ってホントに、凄いことになってるなぁと思う。ありとあらゆるこの手の問題は「いや、浪人したくないしな」→「せやな」で片付けられる。

「あー、世界史ほんま嫌なってきたわ……」「けど今更なぁ。浪人したくないしな」「せやな」
「てか俺なんか大学何すればいいんやろ」「んー、けどとりあえず受かってみんとな。浪人するよりはな」「せやな」

 浪人って便利なワードだなぁ。正直これを使ってどうこうってのは嫌いだ。
 何だろう、落ちてはならないというのは分かる。避けたい。それは事実。けどそれが何か、どこかで、現実味を帯びて僕に迫って来ない。何でだ?危機感が無いから?


「逆算的動機」ってのを大学入試において想定するのは困難だろうな(僕の場合は、だが)将来の自分は「とりあえず今の自分には絶対言語化できない」存在でなくてはならないから引き算のしようがないのだ。「A教授に会いたい!」とかそういう動機を作れるのか知らんが、なんか結局これまでもやってこなかった。どうして、どうしてなのよー。その行為は「全力で自覚を避けたい部分」に抵触するのかもしれない。全力の努力とかと一緒?あんまし逆算的に考えるというのをしたくないのかな。やっぱり才能のあるフリがしたいんだろうか?

 論拠がずれたけど結局「周囲の同級生がみんな目指してるし、よく知る先輩がたくさんいるから(彼らと同等に面白い人たちが行くのであろうという類推が他の大学より高い確率で成立する)」とか「偏差値が高いから(高レベル受験勝者が行く大学であり、高レベル受験勝者の中には刺激的な知性の持ち主が他の集団よりは高確率でいるので)」とかそういった動機でいいのかも知れないね。
 他にあるのは「落ちたくないから(これは志望校を特定する理由にならない)」、「他を選ぶ理由が無いから(調べてないし)」などなど。うーん。1年前から全然変わってないではないか。何故進歩せぬ!無意識の抑圧だからです(⇒結論)


 わからん。そうこう言ってると帰ってきた林の答案が23点しかなかった。ヤベェ、現国ヤベェ。頑張らんとな。浪人は嫌やしな。ていうか何が嫌って、そろそろ林の中で俺がBクラス(笑)になってそうなのが一番嫌www


 とりあえず勉強するためには、文集を可及的速やかに書ききらないといけないのです。はい。