追い出され会

 ワンゲルから追い出されてきました。

 すき焼きを食い、暗いグラウンドで暴れ、夜中まで喋り、5時までフットサルして、少し寝てふらふらしながら帰って、吹田まで寝過ごして、帰ったら7時まで寝てました。
 その後も筋肉痛とダルさで特に何するでもなくすごして(「うろジョジョ」シリーズを見たりしながら)今に至ります。


 ワンゲルが何よりも無警戒でいられる場所だなって思います。自宅の自室より無警戒です(一人になると内面化された規範の監視・査定が意識されるのです)
 すき焼きを食いながら他愛ない話をしたり、中三が「捕鯨」についての質問に答えたり、焼きうどんの残飯処理でゲロ吐きかけたり、久しぶりに凄く懐かしい気分になりました。

 学校の一室を借りて行った追い出し会。例年夕食の片づけが済んだ後、全員が円座を組んで順番に抱負とか訓示とかを垂れる会があるわけです。長い人は1時間くらい話したりします(去年の俺とか。自分で寝かけてた記憶)先日話すネタを探さなきゃとか言ってたのはそれです。


 すでに引退して1年が経っている高3は、高校を去り行く者として残す言葉、的なのを期待されるわけですが、臭いのでなるべく避けつつ、結局言った内容というと


1.(自分らがちゃんと部を担っていけるか心配だと語る中学生たちへ)『自分はちゃんと先輩のようにできるだろうか?』って心配してるなら大丈夫です。安心して心配し続けてください。
2.(当学年は「優しい先輩方」というお褒めの言葉に対して)当学年、そして僕が『優しい先輩』であれたのは某ツンデレのおかげです。集団の中で一人、バランスを取るべく厳しい役回りを演じ続けた彼に感謝しています。
 スキル、性格、それまでの部との関係などで僕はその役には不向きで、彼の代わりを出来たとは思えないのですが、どこかに汚れ仕事から逃げた後ろめたさ、彼に対する引け目を感じています。負担をもう少し軽減してやれたのではないか?と。
3.(学年として先輩方のような「よさ」を出せるかと心配する新部長に対して)正直「よさ」は自分じゃ絶対わからないし、きっと個々のパーソナリティの複合で決まるから意図的には扱いにくいと思う。けど、君らはすでに「いい」から、気にしなくていいよ。最終的に「その学年のよさ」が評価されるでしょう。
4.(僕個人への賞賛等に対して)僕自身や、僕の学年に感謝してくれること以上に、僕の後輩であるN川たちが「いい先輩」として尊敬され、感謝されてることが何より誇らしくて嬉しい。こういった感情を得続けてるのだとしたら、O森(顧問)はさぞ楽しかろう。教師ってのはいい職業だと思う。


 とまぁこんな感じ。くどくどメッセージは説明せずにさらっと言っただけ。けど聞いてる人には伝わってるんでしょうね。


「好きなことを見つけろ」って言う人が同級生に何人かいた。正直見つかっていない自分にとっては「見つける努力」自体、少し想像がつかないところではある。
 恐らくそれはきっとsaltierが言う「アクセスを増やして発見率を上げる」ってことなのだろうね。それは僕が中1の頃から実行し続けてきたことではあるが、相変わらずその終わりは見えない。30になって大体分かってくるって言う人もいるし、50にならないと天命(calling)は分からないと言う古人もいるので、それほど焦ってはいないが、自分が最近その努力を怠っている気がして心配だ。新しいことしてないな、僕は。仕方ないけど、時期的に。gdgdしてる時間を多少は割けるかもしれない。



 なんだろう、言葉にすると綺麗ごとやお題目のように映るのだけど、みんなワンゲルという環境を愛してくれてることがよくわかって、とても嬉かった。そこにいる人が変わっても、それぞれが互いに「いい距離」を保てる、居心地のよい共同体として残っていってくれるだろうな、と思う。O森が抜けたらまた局面が変わるのかもしれないけどさ。


 これがお別れだとは全然思わない。寂しい気分さえない。母校を出ても、山に登らなくなっても、どこか他の国に行っても、「ワンゲル」での感覚はずっと変わらずに、「いつかかえるところ」めいたものとしてあり続けるから。僕と「ワンゲル」が切り離す何かは「死」と呼んでいいのではないだろうか(キラッ)

 そんな感じで追い出しが終わり、とりあえずそろそろ文集を終わらせねばならず、けど明日は東進でそろそろ寝なきゃならんということで、この辺で