死者に鞭打たない

 中川氏の死は自殺じゃないらしいが、なんとなくどうしても、それに近いように思われてしまう。

 当人に真相なんか聞けやしないから、想像にすぎないのだが、"アル中赤っ恥大臣"の正の側面をいくらか知るうちに、何ともいえず哀しくなった。
 東大を出て銀行員をやっていて、父親の自殺を受けて政治家になり、父の部屋を受け継いで大臣として働いていたとか、党としては珍しいほどによく勉強する政治家だったとか、どことなく感じていた彼のナイーブそうなところを補強するような話が色々と出てきていた。そういった姿はやはりメディアが施す偏った死化粧なのかも知れないけれど。



http://d.hatena.ne.jp/lough-maker/comment?date=20090217


 世間の怒りと呆れと冷笑を買ったあの"もうろう会見"はさすがに大チョンボではあったとは思うけれど、何だろう、だからといって、僕はこの人に何を言う資格があるのだろう。あの人の何がわかっていたというんだろうか。


 酒の勢いを借りてないと政治家やってけないような人だったのかもな、と今は思う。ありゃ辛い仕事だから。神経細い人にはつとまらないし。
 彼にとって父親はどういう存在だったのか、やけに知りたい。なぜか政治家として地位を築きながら、将来が途絶えて死を選んだ父親。彼は父が死んだ歳と、ほぼ同じくして亡くなったわけだが。
 落選して先がどうなるかもわからない自分とどこかでダブって感じたんじゃないか、と思う。勝手に解釈して勝手に同情して、それこそバカバカしいんだけど、単純な符合だけにどこか悲劇的に思えて、どうしても哀しさが拭い去れない。


 彼の父・中川一郎の秘書であり、彼と選挙で戦った鈴木宗男が、「もっと語りあうべきことがあったかもしれない」と呟きながら涙しているのを見て、わけもなく僕自身がもらい泣きしかけた。異常だな。情緒不安定みたいだ。……彼の涙は本心から出たものだったと思う。面の皮の厚い政治屋だけど、身内には情深そうな人だから。


 父親を意識し続け、政治の世界で傷つきながら生きてきたインテリという、彼のイメージが僕自身と妙に重なってしまうのだろうか。それとも僕自身が無神経に、無責任に彼の醜態を冷笑していた時、彼の感じただろう失望、罪の意識、羞恥、苦悩に思いを馳せられなかったことが歯がゆいのだろうか。
 メディアの向こうの政治家といっても、同じ人間で、そんなに面の皮だって厚かないし、人間らしい道徳心や感情をきちんと持ちあわせている。その程度のことが、ちゃんとわかっていなかったのだな。馬鹿だった。



 ……無念は残っているだろうな。けど、せめて安らかにと祈るよりほかない。