健全な青少年の生活

 面白さはやっぱり現文>漢文>>王朝文学

 学校が始まるとなるとやっぱり楽しいもんです。意図的に自我を関係性に埋没させておくぐらいが、健全な気がします。我の強すぎる自分にとっては
 まぁ健全(ゲシュタルト崩壊してきた)なんて価値意識の強い言語を無定義で使うのは随分危ないんだけど。自分を健全だと思う人間が不健全で、自分を不健全だと思う人間が健全な気がする。自分の理想状態と自分が一致していると思うのは傲慢じゃないか?(「人付き合いにおいて」「身体的コンディションにおいて」「習慣において」とかで区切ればありうるかもしれないけど。健全=結構社会的な理想状態。「これなら大丈夫」といわれるもの?「常識」と深くリンクしてるのは間違いないか)
 そんなこと言いながら僕自身、自分は部分的には健全だと思ってる。そうでないと社会生活営めないんだけど。自分が全面的に健全だと思ってるのは多分いないんだけど、自分の「健全」に対して無批判な人は怖い。数的に強いマジョリティの価値観上で立派にやってる人は特に。まぁ端的に言えば「自己客観視」とかそんな単純なことの言い換えか。でもなんか人間勝ってる理由を考えないことが多いからなぁ。考えておかないとリスクヘッジできないよ、みたいな。

 まぁそんなこといいから寝ろって話ですね。