おもちゃのちゃちゃちゃ

髭男爵とかにしおかすみことかそんなのかんけーねーとか、キャラクターで売ってるピン芸人とかって、「人間」という感じがしない。ゲームのキャラクター(登場人物)みたいな感じ、というかアバターにつける服みたいな、そんな「部品」みたいな印象がある
ところかまわず餅をこねている芸人(芸って言うのか?アレ)を見ても、彼らが自分と同じようにあれこれ将来に悩んだり、年金に困ったりなんかしてる「ひとりの人間」のように感じない。「キャラクター」というタグで整理され、陳列されている商品のように見えたりする
なんだろね。「キャラ」という名の下に、彼らは自分を一人の尊厳ある人間として見られることを放棄している気がする。で、なんかみんなそれを一通り楽しみ、飽き、放り捨てる。子供がおもちゃを扱うみたいに。波田陽区もHGも生きてるんだが。おもちゃじゃないんだが


人をおもちゃにした奴は滅びるのが歴史の常だと思うけど。そんな風に思うと、鳥居みゆきの演じる狂態も、春日の大胸筋も、柳原かなこの演技もなんだか虚しく、痛ましく思える


最近のお笑いがつまらないのは、そういう気持ちにさせられるからじゃないだろうか

追記
いい言葉。「見世物小屋」の心理。あと「嗜虐」