合格体験記より不合格体験記のがずっと面白い

http://www.taisei50k.net/message/msg-13.html

 といってもネット上にはそんなに転がってなかったり。Z会とかが資料請求特典として配っているみたいです。

□敗北の理由

敗北の理由は人によって様々です。「E判定でもポジティブだった」とか「買うだけで満足した参考書」とか「ゲームをやりすぎた」とか本当に人それぞれです。

ただし、これらの理由にはあるひとつの共通点があります。彼らは皆「受験をなめてる」という点で一致しているのです。こう言うと「そんなの当たり前じゃないか」と思うかもしれませんが、そのことに気づいていない、あるいは気づいていても大して問題視していない受験生がかなり多いのです。勉強法うんぬん以前に「受験をなめきっていること」こそ真の問題であると生の声が強く物語っているのです。
http://jukennavi.blog13.fc2.com/blog-entry-257.htmlより抜粋)

 なめずにポジティブに。好循環に入り維持することを第一に考えて、なるべく他を排除していけば自然と合格できるんでしょうか



 自分は単純を愛さず軽んじる。理解の枠を超えていても複雑が好きだ。「まあ正直わかんないんだよねー」というtbt的発言が好きだ。肘掛け椅子に座って事件を洞察する古典派探偵が好きだ。スコットランドヤードが必死で駆けずり回って至った見当はずれな推理を座して解決する時など愉悦すら覚える!
 とまぁ少佐的な言い回しで言っても、繰言にしかならんのですが。ルパン3世が鮮やかなのは、単にいつも飄々としていること自体じゃなくて、その鮮やかな手口の裏に膨大な労力があるのに、失敗を恐れず成功を誇らず、敗れてもなお惜しまず次の手を打ったり云々ってとこか。怒らない、ヤケにならない、奢らない、油断しない、云々。まぁ要するに大器なんですね


 身にひきつけて考えるとつまらんなぁ自分は。失敗を信じず、失敗を否定し、失敗を忘れ、たまたま手に入れた不確かな他人の承認・「他人が見ていると思っている自分」にすがって、自尊心を保っている。あてにならぬこと夥しいはずなのだが。
 努力することを忘れ、努力したことを忘れ、自分が何か知らない(……こういう自己卑下に陥らないためにも、努力しようと誓ったのではなかったのか)

 仮に肘掛椅子探偵が「君、簡単なことだよ。」と得々と的外れな推理を展開したら、どれほど醜いだろうか。自分はそういう失敗を過去間違いなく犯してきたはずなんだけど(あんまり痛々しいから誰も教えないだろうけれど。俺が相手だったらやれやれと聞き流すやろうし)
 「無造作に難しいことをする」という美学を通したいのであれば、ミスは許されない。泥臭くプレーする人間には失敗を乗り越える美学があるが、肘掛椅子的美学に置いて失敗はどうにも言い訳の利かない醜い生傷だ
 生傷だらけのまま、肘掛け椅子に座り、相変わらず洞察者を振舞っている。周りが虚構の探偵におべっかを使い、背を向けては冷笑している。探偵は永久に来るはずもない依頼を待ちながら、「やれやれ世の愚民には俺の価値は分からないか」と呟き自分を慰める。そんなブラックな喜劇の主人公になりたくはない


 そういうわけでちゃんと色々思い出しながら努力しないといけないな、というわけです