文集のネタを考えなくてはならない

三連休比較的一生懸命勉強した。うん。やればできる
なんか時々人生エンジョイしている期間も間違いなくあるし、そのときの気分のよさを忘れて悦楽に興じてしまうんですかね。つくづく忘れっぽいのか

タイトルどおり、文集のネタをそろそろ考案しださないとズルズルもつれこみそうで。もっとも8月か9月ごろのを適当に摘出して切り貼りしてプラスすれば多分2000文字ぐらいの作品は書けるかな。修学旅行記の前半みたいなやや痛ましい文体にならないように気をつけないといけないです
今日の鹿児島城西じゃないけど、文章も攻め一辺倒ではいいものにはならない。シャレた対句を思いついても、自画自賛したくなる比喩が思いついても、パーツのイマジネーションを全面に押し出しすぎるとバランスが崩れてしまう(城西の守備はザルでしたねぇ……大迫のゴールシーンとか凄かったけど)
そんなことを意識して、もうちっとこう、弁えた文章を書きたいもんです。格別の技巧を感じなくても宮部みゆきのようにスルスルと読み手を引き込めたりもすれば、平野啓一郎のようにバロック的芸術の重厚さが肩こりを覚えさせる文章もあると。どちらがいいかというと自分が最後まで読む気になれる宮部的文章の方がいいのでしょう、俺にとって


ブログの主な部分を読み返してみても、自分の結構な変遷を感じます。まぁ前向きに考えるのが嫌なんかというぐらい現状志向ですね。今でもそうだけど
停滞自傷行為はなくなった分、精神衛生だけは改善されてるかもしれないが……うーむ。頑張りましょう、はい