elite

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51136972.html

エリートとは、強く賢い人々のことではない。

エリートとは、自らより愚かで弱い人々のために命を賭することを、自他ともに認めた人々のことである。

なぜこの国にはエリートというものが存在しなかった、いや出来なかったかを考えてみる。そして出てきた結論は、この国には文豪を敬う伝統はあっても、エリートを敬う伝統はないということにたどり着く。能力も品格もエリートとしての条件を満たしていた杉原千畝をこの国がどう遇してきたかというのは、そのごく一例に過ぎない。

そして、なぜエリートを敬う伝統が生じなかったか。

エリートとなりうる人々に、人々が無礼をもって答えてきたからではないのか。

人々の無知蒙昧に、エリートは耐えねばならない。これはエリートとしての、義務である。

しかし、エリートたりうる人々が、エリートにならねばならぬ義務もまた存在しないのである。

エリートとなるのは義務ではなく、しかしいったんエリートとなれば義務ばかり追う。

そんな損な役割の彼らの唯一の報酬は、敬意である。

そして、この国は文豪には敬意を払っても、エリートには敬意を払うことなく今に至っている。