語感。響きとか

実用的であることを何ら疑問を持たず是とできる人がいる。そういう人にとっては、僕があれこれもがいていたり、書いていたりすることは「当たり前じゃないか。今頃気づいたの?」となるのかもしれない
実用的、経済的、効率的であることにどこか相容れなさを感じるのは、自分がまだ実用に耐えるものでなく、それを肯定したいからかも
「お金を稼ぐ」のを素直に受け入れられない、古くさい意識がどこかにある。ビジネスって言葉がなんか嫌いだ。でもビジネスのほとんどは新たな形の幸福を生み出してるはずなのに
ビジネスという言葉には"営利至上"で"情け容赦なし"ってイメージが僕の中にはある
金融や証券とかが、新しい、人間の幸福を生み出してるのかは分からない。「そんなに儲けたい?」って感じがする。彼らのあげた利益の分だけ、誰かが損をしている。±0。それはなんだか受け付けがたい。フェアな儲けだけど、不毛に思える。はっきり言って嫌いなんだろう。青臭い感情だし、非現実的なんだけど
そういった金融とかハゲタカの印象がいつの間に、ビジネス全体の印象になってしまったのだろう?
ビジネスって言葉を思うとき浮かぶ光景。それはドラマでひれ伏して懇願する作業着姿のオンボロ事業主に、高級で洗練されたスーツに身を包みシャープな眼鏡をかけた細身の男が、書類を突きつける賢そうな弁護士を脇に従えて、冷たい目で「これは正当なビジネスです」とか言っている光景だ
だが破産寸前の哀れな事業主だって、ビジネスして失敗したわけだし、崇高な使命に燃えて製品開発に勤しむのもビジネスの範疇のはずだ
要するに幼い頃に染み着いた印象が剥がれてない感じだ。何か違う訳語を考えようかな。社会にはビジネスって言葉が溢れかえってるんだから