夜、雨、疲労

 前向きに思考できない状態の脳はさっさと眠らすに限るが、何もする気が起きない(寝ることも含めて)
 結局何かを文章にしている時間が、楽なのかもしれない。後ろ向きの夜はたまにある


 自分のインドア具合が気に食わない。身体的怠惰(およびそれに対するコンプレックス)が気に入らない。体力をつけなくてはならないことは理解しているが、情熱が全く湧かず、そのことに幻滅感が募る。自分がヤル気を起こせないことに対して、どういう態度を取ればいいのか?少なくとも自分が習性的にやってしまう「自己否定解決」は非生産的で得る物が無いようには思う。やってみろ、ということだろうか?だが容赦ないダルさを吹き飛ばす活力が無い。この状態に入ると後は自己嫌悪ループするだけなんだが……


 体育会系にいつも抱いてしまう漠然とした歯車の合わなさ、反射的な気まずさは何なんだろう?自分でも何とかしたいと思ってはいるけれど、感情の深い部分から反射的に出てしまうこの違和感。人見知りの類とも言えなくはないけど

 スポーツをしている、それだけですばらしいことのように思えてしまうのは結局自分の無いものねだりにすぎないのだろうけど。ただ、それが自分に無いことが耐えがたく苦痛であり、それを得る過程も基本的に苦痛だ。どうしろと?
 スポーツが好きなのも結局自分がどうにも続けられないことへの裏返しなのかもしれない。思っているほど出来ないことではないのだろうか?しかし生まれてこの方勉強だの何だのの類で、「するべきだ」と思ったことが習慣になったことは一度も無かった気がする

 羨、欲、嫉、怠、堕。無様だ。その無様さを甘んじて受け入れるしかないのか。それをするには自意識が余りに邪魔すぎる
 悩んでいることそのものが無意味に思えるし、そんな無意味なことに拘泥する自分が愚かしくも思えるけれど、自分にとっては難題で……でもこんなことが難題である自分が許せない。醜い自尊心とのロンドロンド

 スポーツが出来たぐらいで、と言い切っちゃいたいが、そういう態度も自分としては許せないんだよな。結局自分に正直であろうとすれば、運動するか苦しみ続けるしかないのだろう。書いてみると実に馬鹿馬鹿しいことだ。だがそれが出来ないんだよな、俺には。やりたいことがインドアに満ち溢れてしまっていて

 俺がヲタクなんだなと、苦しみながら認めざるを得ないこと。それを正当化も出来ない。狭間に挟まれてしまっている。目の前にいた人が、俺の見たい地平へ行ってしまったのが、寂しいのか妬ましいのか。少なくとも俺は嫉妬しているんだろう。そんな自分が情けなく、無様で無粋で厭わしく、周囲ばかり眩しく思えてしまう