無反応恐怖症

 僕は多分異常に他人の日記やmixiにコメント入れてるなーと思う。なぜなんだろうね?ほっといたらすぐやってしまうんだよなー。他人事だってのは分かってるのに……

 ここでそういう話を書く意味があるのかどうかはさておいて、根本にあるのは多分「不安感」なんだろうな。昔から喋りが苦手でよく噛んだり詰まったり前後したりして、それをからかわれたり親に諭されたりした。会話で必要なスキルを勘違いして、「完璧に喋らなきゃ」と思って脳内に文章の構成をした原稿を構築しては、喋りそこなうというのを繰り返しているうちに、自分は「会話が苦手だ」という劣等感が埋め込まれてしまったのかもしれない

 何かを表現する時、「誤解されるのではないか」という心配を感じない人間はいないと思う。特に会話ではいつもそうだ。たいてい後になって思い出して「あそこでああ言うことも出来た」「本当はこう言いたかった」なんて悔やんでいる
 そして誰かに表現する時、ずっと「実は相手を誤解しているのではないか」という不安を感じている。その人が心の底でせせら笑っているような錯覚(頑なにそう信じようとしている)が脳裏をよぎることもある

 そして結局自分の過度なコメント癖は、よくあるメール中毒の中高生と同じく、「孤独」への恐怖に囚われている

 その人の思いを少しでも分かり合いたい。理解しようとしていることを伝えたい。間違っていたら教えて欲しい。おこがましいけど打ち明けて欲しい。そして応えてほしい。自意識が渦巻いている。いつまでたっても消せない、過剰な自意識


 
 ブログ書くこと471回目。もうそろそろ10万アクセスなわけだが、多分日記なら3回で終わっていただろう。「誰かからの反応がある」それが全てのモチベーションなんだと思う。穴を掘って喋るなんて僕には出来やしない。孤独な心の端っこの石積みの壁、その隙間に向かって大声で叩きつける。その壁の向こうから時々声が聞こえてくるから、自分に応えてくれる何かがあるから。だから僕はずっとこうして下らない日記を、ネット上で垂れ流しているのかもしれない。何の価値も生みやしない。だからこそ、僕が踏み入って欲しくない人間は踏み入ろうとしないと、信じられる


 結局、声が信頼できない自分にとって、ネットとブログは、幼い自意識の存在証明欲求を満たしてくれる媒体なんだろう。そしてきっと多くの人が、同じような気持ちを抱いて2chに住み着き、過疎ブログをぶったて、mixiでマイミクにだけ日記を公開しているんだろうな……

 いい時代に生まれた



 さて、結局何が言いたかったのか眠くて忘れかけてる。そうそう無反応恐怖症

 メールの返信が無いと怖い。多分。強がって自分でも認めなかったけど、やっぱり怖いんだろう。反応がないのが。壁の向こうにいてくれた人が消えてしまったような……

 でも結局僕の他人へのレスポンスの量が異常なのに、それを基準に相手に求めて、相手がそれに満たないのを不安に思ったり不満に思ったりするのは無意味なんだろうな。文章を書くのが億劫な人間だって世の中大勢いるはずだし……

 自分に照らし合わせて、書き手は読み手の反応があるってだけで救われると信じて、それもあって色々と書いたりもしたけど、実際のところは自分が反応を欲していただけなんだろうなー


 どこかに俺がもう一人いれば、互いに慰めあえるのかもしれないな。非生産的だけど