アイデンティティ不確定な元男子校生が見る予備校

 受験が終わったかもわからぬ状況で語るのはアレな気もしますがその辺は気にせず。


☆予備校に通う利点

1.予備校には質の高い教材・授業があり、学力向上に繋がる
2.自習室など環境が整えられている
3.受験に関する情報提供がある
4.出会いがある(※男子校生の一部)
5.予備校内の競争などによりモチベーションが維持される
6.自力でのスケジューリングなど不要
7.親がまんぞく


▲予備校に通うコスト
1.授業料、週1講座で1万円とかそんな感じ
2.時間


 不安産業なんだろうなー。保険と一緒で。


☆予備校の経営とか
 東大・京大・国公立・医学部に受かった人数が、どうやら予備校の実績になるっぽく(大手だと)
 その結果、中堅受験生から吸い上げて、上位層のフォローにつぎ込む。実力のある講師を高額でヘッドハンティングしたりするってビジネス構造が出来るんだよね、多分。
 あと優秀な生徒を集めるのが何よりの近道でもあるわけで、東進の東大特進はその辺上手くやってるなぁ、と。特待制度によって実質の料金はほとんどなく、大学生スタッフと気のいいマネージャーらが家庭的な雰囲気を作ってるし、集中的な日程で他塾通いの人間も参加しやすくなてる、と。赤字前提の商売をやってるのは彼らが大手に後一歩という位置だからだろうな。


<1に関して>予備校って本当に凄いのだろうか
 講師によるけど、それほど全幅の信用を置いていいもんではなさそうである。現代文の話は食傷だから置いといて、地歴も怪しい時がある。駿台のとか。
 とりあえず教材があって演習量が増えるのはいい。別にそんなの自分で参考書買った方が圧倒的に安上がりなんだけど。
 あとずっと学校の変わり映えしない教師ってのもつまらん。きっちゃうの初授業を受けたときの高揚した気分は鮮明に覚えてる。

<2に関して>環境がいいのかどうか
 とりあえず勉強に集中しようと思えばできる環境にあるんだろうな。浪人生を見て怖気立つ人もちらほらいる。「受験のための空間」であるということは、確かに集中を高める。
 ていうか何より「受動的に出来る」のが素晴らしいことだ。自力で考える必要が無い!予備校の利点の最大な気がする。安心を買ってる。

<3に関して>情報の意義
 正直それほど不可欠な情報をいただいた記憶は無いので、特にどうでもいいのではないでしょうか……。
 点数配分、時間配分などの話は役立ったりしたけど。どれで何点取るかなんて話は役立ったかな。
 灘校にいれば教師・先輩からいくらでも聞けるのだけど、志望するレベルに応じた情報があるかは学校によるし。ネットで調べるよりは予備校で教わる方が安全ではあるな。

<4に関して>出会いはあったか?


<5に関して>内部競争
 テスト演習が多いし、位置を確認しておきやすいのはある。独学で死角をフォローするのは面倒だし、授業・テストの過程で色々分かることは多いんだろう。死角をどれだけケアできるかで、点数の安定感が変わるわけで。

<6に関して>流れの中で受動的に
 先述。僕自身、英語に関してはスケジューリングとかが面倒だったので、ただ河合・東進・学校の課題を全部やるというのに終始していた。完遂したら普通に十分に時間を使うわけだし。
 その辺の権威を信用しておけば、精神的には楽であるな。
 ついでに予習とか復習とかを含め、一週間のペースを作りやすくなることは間違いない。

<7に関して>親にとって
 大半の親が子の大学受験に関して出来ることって金を出すことぐらいなので(本当はそうでもないんだけど)親からすると、子が予備校とかに行ってくれるほうが安心なようである。



 個人的に、何教科も通い予備校漬けになる費用対効果は決して大きいとは思えない。それはまぁ、俺が予備校の主要商品である「安心」への需要が低かったからなのだが……、それにしても、何だかその金と時間を何か将来もっと楽しいことのために取っておけばいいのになぁ、なんて思ったりする。「学力」と「思考力」の相関関係は門外漢の自分に実証できるものではないけど、単純に授業を受け、参考書を読んでるだけじゃ破れない部分があって、そこはやはり「やってて面白い学び」の経験がいるんじゃないか?って思わなくもない。受験を軽く乗り越えて見える人って、そりゃ勉強もしてんだけど、多分普段からワリと色々なことを考えてるんじゃないか?って感じる。何も考えてない人間っていないんだけど……。
 周囲が行ってて、置いてかれそうな不安なんてのも動機になるんだろうけど、正直そんなに大きく考えなくてよさそうな気はする。正直学校の勉強って、足りないわけじゃないし。中学の初期ぐらいからずっと取り残されてるとかなら底上げしなきゃならんのだろうけど、そういうの関係なく行ってそうな人がいるのが気に食わない。


 塾に通い安心を買って、環境に没入するのは、よく言えば受験に集中しているとも、悪く言えば自発的に視野狭窄に陥ってるともいえる(僕は視野狭窄恐怖症なので、大袈裟に捉えているのだろうけど)
 予備校は予備校で、そういう権威にあぐらかいて、企業努力を怠っている節がある。彼らの商品を検証する存在がいないからなぁ。「教える側」の権威は「教わる側」には崩せないし、駿台文なんかに大々的にケチをつけたところで何の得にもなるまいし。金は出せば出す分、安心感を買えるから、価格が釣りあがったって問題なくて、落ちたら落ちたで生徒の努力に帰着できる。一定数は通しとかないとブランド力が下がるけど、落ちたら落ちたで授業料はもうかるんだよなぁ。そこの力配分が予備校経営のミソなんでしょうな。顧客全員に平等そうな面をしながら、うまく下客を食わないといけない、悪意的に言えば。個々の講師の人らは真剣に眼前の生徒を受からせたいという気持ちでやっているのだし、スタッフの人らも同じだろう。けどそれが集合して営利組織としての「予備校」になった時、そのような汚らわしい傾向を持つのだろうし、その徴候は現にちらほらと伺える。


 読んでる後輩がいたら一言。色々な事情があり、予備校の効用はやはり計量困難なのである。実に換算しがたい。とりあえず灘校生は、自分が灘校の環境を最大限利用したかを必ず自問すべきだとはいえるのではないかな、と。だって予備校の授業って1日で2000円以上かかるわけで、参考書だの文庫本だの買う方がはるかに時間あたり効率いいわけでさー。親の財布にリスペクトを持ってたら相当な覚悟で行くべきなんだろうなー(人のこと言えないけど……)


 なんてことをつらつら考えたりする退屈な土日だったのです。