身体(笑)

今日の現代文では同志社の過去問を解いたが、文章が馬鹿っぽくてイライラした。「と」が生む「間」が「文学」を「身体化」するんだと?とりあえず文学と身体を定義してから喋れって。「と」なんか微妙に具体的なとこに目ぇつけて賢くなったような錯覚してんじゃねーか?あーん「間とはアイダである」って何、「ワタシハ日本古来ノ知トカ文化ニモ造詣ガオ深イ文化人様デアリマスコトヨ」とでも言いたいのかしらん?「フルイコの酒場」とか「ウサギ美味しい」とか言い間違ってんのを何?「日本人の言語から身体性が薄らいだからや。あなかしこあなかしこ」とか「憂国ごっこ」しとる暇があったら自分の臭い文章読み直して悔い改めてくれよ。


と、未来の自分(まぁこんな文章誓って書かないが)に暴言をぶちまけてスッキリ


しかし現代文で「身体」とか見る度にげんなりする。こういう術語を無説明に使いこなせないとメタな世界に行けないんかもしれんがね。いつかの流行っぽいね、「身体」論。M川曰く「身体化はフーコーが言い出した文脈だと権力が人に強いてるものが強いられてると意識されないように……」と。うん、まぁ大体の用法はわかってるんだけど、身体ってワードは何回見たって嫌。身体論の文章が腑に落ちた記憶はない。今日のように直感的に二流っぽさを感じる(真偽はともかく)文章なら気にならんけど、ちゃんと喋ってるっぽいのにわからないのはストレス。


他にも宗教とか色々わからないことばっかりだけど、さしあたって有象無象の文系屋が身体って無説明で使うニュアンスを知りたいものだ