野島とーくたいむ

野島の質問コーナーは空いているので色々聞きにいく。「商業発展の延長線上に必ずしも資本主義が位置しないのはなぜ?」とか聞いたりする。まぁ望む答えは返ってこなかったが、教科書記述面では資本主義は工業化、身分流動化などの結果で語られている。江戸末期のマニュファクチュア、地主小作関係にも「ブルジョワ×プロレタリアート」の構造は生まれているが、それは教科書では「資本主義」とは呼ばれていないというとこの確認に留まった。もう少し資本主義の定義を確認してから格、バイ川辺りに聞いてみようか


なんでこんな話になったかというと昨日、蝉と
封建社会は資本主義と相容れないんだよ。ウィーン体制の崩壊は産業革命が原因でもあったのさ」
「ふーん。封建制でも商業はバリバリできるよねー。問題ないじゃん」
「せやなー」
みたいな会話があったので



その後「最近どうよ」的な振りを受けたので、なんだか努力とかそーゆーのがよくわからないのみたいな話を野島としたり
「君には能力がある。俺が言うんだからわりと正しい」とか「今は一番ものを吸収できる時期なんだ」とかって言われたりした。
まぁ周囲の友人に言いづらい悩みを色々話した。彼からの答えは、それほどザクッとくる、僕の行く先を示すものかわからないが、人生の先輩が言うんだから今の時期は色々適してるんだろう。(こういう時期にその気になれる人は立派な研究するんだろうな、理系とか)
まぁあと高々4ヶ月くらいはちょっと勉強してもいいかな、とか思えた。試験勉強してる最近はわりと自分が明るいのを感じる。やっぱり勉強しないのは後ろ暗かったわけだね。色々言い逃れしながらも。


野島も格と同じように文系の、人間を扱う学問の知性は50過ぎてから本場だと言っていた。その時になったら新しいことを入れるのは非常に難しいんだとも。にわかには信じがたい話である。若者は自分が老いるなんて想像さえできない。(若者に「精神の老い」を体験させるシステムが作れたら、みんなやる気出すのではないか?老いを覚悟させるのさ。「『覚悟』こそ幸福だ!落ち着け素数を(ry」)



老いに関してだけはわかりようがないので先達の言を信用するしかない。少年老いやすく学成りがたしという。金八か。


「一桁で受かってみたら?」とか言われたので「それに何の意味があるんです?」と問い返した。野島曰く「東大で、少なくともアカデミズムで活躍してる人はやっぱりこの時期からすでに結果示してるよ」とのこと。おそらく「知的行為におけるストイックな姿勢」がこの時期にすでに現れているということなのだろうな。


僕は勝負に瞬間的にしかこだわらないからか、全てを捧げた結果の敗北感も、勝利の喜びも知らずに生きてきた。他者と無関係を装う割に、他者との立ち位置を考えた妥協的な目標線ばかりを設定してきている。身を削らなければ辿り着けない壁に未だ直面せずに。この経験空白は放置するほどリスクを増すんだろうなぁ……どこで潰せばいいのか、厄介だ。


それはさておき、野島が望むのは「受験という経験が、『自信』を一つ、高めること」だそうだ。僕は確かに自信不足には苦しんでいる一方で足りてたり、現状の自信を崩すリスクにおびえてる。確かにハイスコアは自信にはなるだろうな。一桁というと、320くらい……?やはりめんどいぞw受かったら同じでねーんか?と、効率病。


とりあえず前向いて生きるのが一番明るく生きれるアルネ。生きるとか能力とか、ぶっちゃけなんなんさそれわかんないって感じだけど、死の床で気づくものらしいから気にすんのも時間の無駄でしょうな。嗚呼効率病。無駄というのが変なら、勉強の代替に考えた程度で悟れるはずもないから不毛というか。
「気になる」って心の動きは、きっと僕を導くものではあるとは思うのだけどさ。まぁ今は機でないか


さっ勉強再開やー