目的と手段の混濁

父親やsaltierとだべって、ある程度解決。対話は偉大ですね。頭でっかちなもんで、つい大切さを忘れてしまうんですが。


受験勉強以外してはいけないような強迫観念にややもすると押しつぶされかけてたわけです。


一週間余念なく勉強することも、心置きなく遊ぶこともできず、易きに流れてパソコンばかり見てたわけです。萩に旅してもわだかまりがくすぶり続けて、真に安らげなかったですし。



自分に幻想を抱いてもしんどいだけだと
また「清く正しく賢く強く過ちは繰り返さず睡眠をきちんと取り知的欲求に溢れ傲らず弛まず努力を重ねる俺」を夢見てたわけですが。誰だそいつって奴で。


やっぱり受験勉強に没頭なんて出来ないです。
そんな柄じゃないです。
しないで受かれるかは割と疑問があるけど、無理そうならスタンスを変えずに勉強時間を増やすだけのことか。
多少の努力さえ精神論的に見えるほど精神弱いのですがね。
国語と日本史でカバーします。


努力や勉強は目的でなく手段なはずで。
目的を今一度明確化しなきゃならんし。
夏休みの間は林修の語るようなアカデミズムに触れる機会にしてもいいでしょうかね。
未熟であることを認めたくないがゆえに、幻想を築いているのは違う罠。
頭よくなりましょうか。いざとなったら学者で食えるくらいに。いや割と現実味のあるキャリアですが。何するか未だ全く決まってないあたりで太刀打ち出来ない気もしますが、人生長いし。無理なら新進気鋭の若手天才学者になれなくてもいい。


おまけ:記録
色々もやもやして何も手に着かない状況で、同級生が真面目に勉強してるのを見ていたたまれなくなってグランドビルから逃げる
→河合に行く自習室満員で萎える。受験生を見てると自分の居場所がどこにもない気分になる。しんどくなり逃げる
→スタバでコーヒー飲む。計画の立て直しでもしようと思い、白紙を前にするが、ずっと鬱々。メールで弱音吐いたら映画見ろとか言われたのでサボ決行。TSUTAYAトゥルーマン・ショーとやらを借りて帰る
→対話などで回復