論ずる勿れ

 父とか医学部志望のM氏とかと出生前診断の是非について少し話してみて、「是非を論ずるスタンスは間違いである」とやはり痛感した。そっちの抽象的・概念的な方に議論を向けられるほどの教養も知識も覚悟も人生経験も無いのだから。ついそういうことを大げさに考えてはしまうけれど、振り返ってみても身の丈に合ってない背伸びした思考なんだろう


 弟を生んだとき母は結構高齢だったのでダウン症のリスクが高かった。父は気にしなかったのだが、母がやりたいやりたいと言ったので出生前診断をしたらしい。結果はセーフで今に至るのだが(もしダメならどうしていたんだろう? とか考える辺り、自分も青臭い)
 格が言っていた『恥の文化再考』に出てきた「生きていることの含羞」というのは何となくよくわかる。常日頃からどこかにある、何となく誰ともなく申し訳ない感じ。謙虚とも言えるし卑屈とも言えて、あまり好きではないけど、捨てきれない心の中のニュアンス。自分の心の癖が文化的背景を持っているというのはなんか心強い(?)というか、とりあえず何となく落ち着いた

 それはともかく、出生前診断ってのも、結論の出る問題じゃないな、と。Mの言うとおり結局は個人・状況の問題と言うのが妥当だろうし、父の言うとおり「そのとき自分がどうするか以上のことは考えても仕方ない」問題なのかもしれない

 ……まぁ直面した時に、自分が悶絶するだろうというのは目に見えて想像できる。覚悟でもしとこう