罪深い

格が生命倫理について話していた。関心のある分野である
ノーマライゼーションと照らし合わせると選択的中絶はどう考えても矛盾するが、実際「生まれてくる子は重度の脳障害があり一生介護が必要っぽいですね。産みます?」と言われた時に腹をくくってYESと言い切る甲斐性があるかと言われると悩む
個人としてはそこで"手間"から人生を守るために中絶したとしたら、一生寝覚めが悪いし、せっかく守ろうとした"人生の幸福"なんぞ消し去るだろうなという気もする
また親に「アンタの前に一人障害児だから流した」とか言われたら、死ぬまで"兄"の目を気にし続ける人生になりそうではある
そんなこんなで直感的には、そういう選択的中絶は「殺人」のように思う。たとえ受精卵段階での選択でも、後の子に自分がデザイナーベビーだと知る重荷を背負わせたくはない
ただ実際直面したらホント、死ぬほど悩むんだろうけど。生まれてから「もう殺せない」って段階で悩んだ方が幾分人道的な思考ができそうな気はする

最終的なQOLなんか自分のでさえわからないのに、生まれてくる子供のがわかるわけない。当人以外にはその人のQOLを測る権利も正当性もわかりえない。個人が人のQOL見込み値が測れるって考え方自体が、何様のつもりだと。「障害者はQOLが下がる」と社会的に思われてるから、本当に下げられてしまう、そういう多数の力じみた側面もある。要は健常連中の共通認識がマズいんかなとも

それでも「子供が20歳で死ぬと確定してる病気だったら」とか「植物に近い重症だったら」とか、考えるとやはり口ごもらざるを得ない。現実を知らないから、反論できないのが歯がゆい


……出生前診断という技術こそ「生まれてこなければよかった」存在かもしれない


「知恵が足りなくたって『人間』なんだよ」と確信を持って言えない自分が悔しくもある。……悔しいな。理解できないことが悔しい。どうすればいいのかな


文化風土を共有する日本人の間でも、合意が難しい、倫理の問題はそんなもんだけど、後の人が悩まないでも済むような、ある立場に依拠した納得のいく論考くらいは組めるかもしれない。宗教の力があれば説明しやすいんだろうか……
罪作りな技術だなぁ、やっぱり……