自愛

授業出席も、積極性乏しく=趣味、友人を大切に−大学生の意識・民間調査(時事通信社)


 趣味、友人を大切にするってのは、要するに他人と適当につるんで、何をするでもなくぶーらぶらしてるってことなんだろうなー、なんて。授業に出るのも手持ち無沙汰なのか、精神的免罪符なのか
「ゆとり」つったら馬鹿教育の代名詞みたいだけど、「個性の尊重が必要」って認識自体は間違ってないと思う。手段を間違えたんだろうけど


あなたの隣人を愛するように、あなた自身を愛しなさい(内田樹の研究室)

 久しぶりに溜まりまくったRSSフィードを片付けてたら面白い記事。聖書に「愛隣如愛自」の精神があるけど、「自愛」ってそんな簡単じゃなくね?という話。欠点ばっかり見えてきても、自分を愛し続けられるかとか。向上心は自分を愛せないところにスタートするんじゃないか?とか、そんな話。いつものように詭弁っぽいとこもあるけど

 権力や威信や財貨や知識や技芸によって、「他人から承認され、尊敬され、畏怖される」という迂回的なしかたでしか自分を愛することのできない人間の方がずっと多い。

「自分がどうあるべきかビジョンが無く、自分の愛し方がわからず、自分を愛すこともできない」というしんどさは自分も高1の時に思う存分味わったように思う。で、結構多くの人が同じように感じているんじゃないか?と内心思っている
 自分で自分が好きだと言い切れない。だから他人による承認を求める。尊敬を求め畏怖を求める。尊敬を奪われるから嫉妬もする。劣っていることを晒して尊敬を失いたくないから逃避する。承認を感じていたいから、友人から離れられない。自分を偽って相手に迎合し、さらに自分を見失って、何がなんだかわからなくなって、自分を嫌いになり、何もできなくなっていく


 俺はもうそんな状態から足を洗いたいし、傲慢かもしれないけど、そういう人の助けになりたい、そう思ったりする