現代文について

 現代文は今日コーちゃんがやったような演習形式の方が集中力、疑問解決などの点ではるかに優れていると思う。文章を小分けに読んでいくより、問題を軸にやった方が最短距離な気がする
 現代文に最短距離なんかない、と確かに思うけれど、俺に足りないのは多分「求められていることを判断する」という基本的なことであり、読解と作文は大丈夫
 今日も間違わんでええところを華麗に間違えたからなぁ。いつも確信を持って誤答を書いているから自分でもたちが悪い

 今日のコーちゃんで使った文章にもあった赤瀬川二郎の「思い通りの壁」という言葉がふと思い浮かんだ。文脈上はデジカメとフィルムカメラを対比させながら、デジタルな操作で自分の思い通りに風景を改変することで、その風景から自分の全く予想だにしないものを発見できなくなってしまうということだった
 俺の陥っているのもいわばその「思い通りの壁」なのかもしれない。文章を自分の思い通りに読もうとしているのだろうか?O森なぞは常日頃から「虚心になって作者の言いたいことを受け入れろ!無我の境地!無我のキワミアーッ!」みたいなことを言っているが、相変わらず身につかない

 自分の意識を脱却するなんてのは一朝一夕にできることではないが、全力でやろうとすればやるほど、陥穽に嵌ってしまう。言語化についてはアドバンテージがあるのは間違いないと思うのだが
 どういう精神的スタンスで問題に臨むべきかが今ひとつわかんないんだよなぁ。自分の判断と直感に自信持ちすぎているんだろうけど……でもそこを疑ってかかるとそもそも戦えない気がするんだけど。システマチックに解析して解いてく、というのはそれなりに実践しているけれど

 そういえばよくあるケースは「自分が理解できないところを書かなかった(or無理矢理訳した)ところ、模範解答では抜き出してキーワードとして使っていた」みたいな

 とりあえずインファイトしすぎなのかなぁ。よくわかんね