父について

真夜中。どうせ明日は休みなので、将来どういう風に生きていくか考えてみる

 僕の性格の多くは父に似ている。サウスバウンドのあらすじを父に教えたら、ものすごく共感していた。「我が意を得た」という満足げな表情だった。あの本を読んで、僕が感動したのと同じ。父と僕は似ている。親子だから、あれだけ小さい頃から話していて、尊敬しているのだから、影響を受けているのは当然だけれど
 父は社会を変えたかったという。貧しい人を助けたり、そういう純粋な気持ちの持ち主だった。だが父は今は、無力な市役所職員だ。その中で種を蒔こうとしてはいるという
 父は勉強家だし、論理的に物事を見れる。尊敬している。僕よりも感受性も鋭い。他人に対する洞察力は、年齢のおかげなのかもしれないけれど、僕は父を尊敬している


 父は物質的な功利性が大嫌いだ。経済の基礎理論も備えているし、今の経済動静も客観的に見れている。けれど、彼はマネー経済ってものが凄く嫌いなようだ。リーマンのニュースを見ながらやけに嬉しそうだったのを覚えている。父の名誉のために言っておくが、それは嫉妬ではなかった。「自分の明晰な頭脳を金を稼ぐ機械にした」、証券のエリートを彼はそう思っている(無知ゆえに思っているわけでもなく、「そう思いたいからそう思っている」という感じ)
 貧しい人たちを見たとき、父はとても同情する。彼自身が貧しい生まれ育ちだからだろう。その部分は、共有できない原体験だ。僕は恵まれさせてもらっている
 父の弱点は、恐らく他人を見なかったことなのだと思う。彼の社交の幅は恐ろしく少ないし、人と付き合うのを非常にうっとうしがる(友人との付き合いも、家族にはあまり見えない)彼は本を読むけれど、周囲の人間と付き合いたがらない
 父はオカルトが好きだ。六星占術ユダヤの歴史、聖書の秘密、数秘術……そんな本をずっと読んでいる。あとシュタイナーに心酔している。シュタイナーの著作も読まなくてはいけないようだ
 父は「本質」を見つけたいのだろう、となんとなく思っている。父は繊細ないい意味でも悪い意味でも人間らしい感情を持っている。彼の生き方は多分、心の中に最高の城を作ることなのだと僕は思う。悟りと言うと大げさで的外れなんだけど、個人主義的な人だ。世間に対して捨て鉢でもある

 父の生き方を真似する気はあまりない。けれど、心の中に平穏を作る隠者的な志向に憧れはある
 けれどそれは結局、最初から隠者になろうと思っていたわけでもなく、挫折の末にたどり着いた、答えなのだろうけれど



 僕はつい物事から距離を取ろうとしてしまう傍観者だ。けれど、結局のところ僕は「○○には敵わない」って悔しさから目を背けているだけなのかもしれない。正面から戦う度胸が無いから、違う道を選ぼうとしているのかもしれない

 恐らく僕は父と、僕の周りの輝かしい人たちの生き方を折半したような方向を向いている気がする。けれど、道を選ぶ自信は今のところ無い。意地が「奴らの後を追え!」と叫び続けている
 俺にそれができるだろうか?現実感さえない高みの、鍛え抜かれた人々。24時間フル稼働で上を目指していくという道……けれど、どうして上に行かなきゃならないのか。そんなことを考えてしまう

 何か違う気がするけれど、その違和感の正体を突き詰めるまでは、上を向き続けるべきなのだろう。無駄にできる時間なんて無いはずなのだし

 違和感といいながら、不安なだけなのだろうか。それはきっとあるけれど、それだけではない気もする。僕は大企業のCEOになりたいとも思わないし、社会を引っ張りたいという思いも決して強くない

 視野を広げなくてはならない。答えを出すのは、気がすむまで見てからでも十分間に合うだろう。30だろうが40だろうが遅くはないはずだ
 腹を決めよう。もう諦めるとか