世の中批判

あれだ。結局自分も角度次第では大衆なんだと思ってないと、人生を誤るのかもしれない

というか、何だろう、世の中の一般人や流行やらを必ず低く見下すような見方が果たして客観的なものかどうか。いやまぁ判断は必ず主観的なんだが
ただ何か、もう少し高尚で自立した精神を持つべきなのではとか、そんな流行のケータイ買うためにズラァーッと並んだりせんでもええんではないかとか、思ったりするけど、実際のところ一人一人の人間を取り上げてみれば、結構マトモなのかもしれないし

こんなだから社会なんて考えるのは疲れるし、絶対結論と現実にズレが出来てしまう。人間の集合を取り扱うにせよ、色んな切り口があって、その断面図は毎度毎度違ってくるし……
あー、もうブツクサ地面に穴でも掘って文句言ってるだけのがいいんかもなぁ。あまりこうあるべきだなんて言っても始まらないし
優れた人間が納めれば世の中もっと上手く行きそうな気もするけどさ。まぁ実際はこういう功罪だらけの民主主義に落ち着いてるんだから、世の中はそう悲観して捨てたもんではないのかな
ただ何だか過去高く評価されて、実際優れているように思える文化が無理解な社会の流行だのに押されて息の根止められかかっているのを見たりするのは歯がゆいし辛いけど、でもまぁ生き延びていくだろうと楽観的に見るしかない

本気でそんな世の中を変えたいと願っても、無意味な気がする。人間も群れれば動物とさして変わりない(そういう風に扱って差し支えないというか。だからこそ結構操作できたりするんだろうし)わけで。てか群れなくても行動の大半は感情なわけで(俺だって全ての行動を思考できてない以上、同類だろう)
なんというか、精神的に「俺は個なんだ!」と思いたいから、物理的に群れるというのが嫌いなのかもしれない。特に作られたイメージに踊らされて物を買いに列を為すなんてのは、嫌なんだろうなぁ、アンチ資本主義的なもので(親の影響だな)


大阪駅で人がそれぞれの目的に向かってあるいは足早に、あるいはダルそうに、あるいは楽しげに歩いていくのとかを見ていると、それぞれが俺と同じように人格を持ち、自分を持っていることが不思議に思えてくる。わくわくするような不思議じゃなくて、違和感に近いような。考えなくたって構わないし、そうだから仕方ないが、何となく変なものだ。今この瞬間もあるいは考え、あるいは寝、あるいは……
アフリカの飢餓がニュースされている一方で、下らなすぎて悲しくなるようなバラエティが放送されて、それを見てテレビの前で笑っている人間がいる。で、それも俺と同じように意識を持ち、活動しているという不思議な感じ
そういう微妙な感覚をどうやって処理するか。結局は意識しないですむような、俺を満足させる言葉を発見するしかない気はする。どうせ考えても無駄なことだ。何かが変わるわけでもないし

それにしても俺が今この身体でこの意識を持っていて……それは結局……考えても仕方がないことなのだが、何となく気になってしまう。答えになりそうな話がいつか見つかったらいいんだけどなぁ