過去の自分に遺伝子組み換え
なぜ「自分」は他人じゃないのか?時々真剣に分からなくなる。こういう疲れて何もする気がない日は特にそうだ
自分という「前提」をはずせそうな瞬間が昔は結構あった。いつの間にか無くなってきたのはある本が原因だったか。言葉にしにくいそういう思いを、必死で言葉にした哲学書だった。難解だったが分かる気がしたものだが……
- 作者: 永井均
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1996/05/20
- メディア: 新書
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また読まないといけないなー
ところで僕が2日前の自分に会ったとしたら、その2日前の自分は他人なのかな?まぁ「二日前の俺」っていう他人になるんあたるんだろう
1秒前の自分はどうだろうか?これは他人?
その存在が「自分」であるということは、「その『現在』を感じられる」ことだろうか。一瞬でも前の俺は「他人」なのかもしれない
時間の海の、波の先端に乗り続けるサーフボードが自分?なんかよく分からん比喩だ
わからん。哲学的な問題なんて寝ぼけた頭で考えるもんじゃない。でも「現在」って謎は考えてみたいな