自戒をこめて

 ちょいヲタ国語教師が以前言っていたのもあって、山月記を読んでみた。文庫にして10ページの短編で、文体は時々堅いがすぐ読める

 自尊心に取り付かれ、虎になってしまった秀才、李徴の後悔の言葉にはどれも僕の胸に風穴を開けるような鋭さがある。李徴の後悔を、今自分が体現しているからだ。前から内容は薄々聞いていたが、実際読んでみると射抜かれたような衝撃があった。死後50年過ぎてるんで一部引用する

『己の珠に非ざるを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、また、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶とざんい(斬+下心、圭+下心)とによってますます己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果となった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣にあたるのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。(中略)人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと、口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが、己の凡てだったのだ。』


ただ自らの才を信じたいがために、挑戦を避け、努力を拒み、他人を軽蔑し、自分を肯定する。俺のことか?

自戒の意味で書き置いておく