祭初日・友生

いよいよ文化祭となり、感慨もひとしお、っつっても今年は仕事も余裕をもって終わり、自身の仕事の部誌製作はとっくに終わっていたので、結構ぬるか

とりあえず友生の子らが来るまで新校舎をブラブラ。なんかわからんが縁の深いことに2/55の確率で役が直撃していた。

 地歴で外道なアフリカ大陸パズルを通りすがりのHと完成させたりして時間をつぶしたが、果たしてあのイジメまがいのパズルを完成させる猛者がどれだけいるやら

そんなこんなで友生到着。担当する予定だった子は体調が悪くて来れなかったのだが、違う子の担当になった

友生の子らは重度の脳障害で話すことも歩くこともままならない子が多い。あたった子はその中では比較的障害の軽い子だった(以下K君)もちろん喋れないし、車いすだったが

中庭で歓迎の式が行われ、和太鼓が披露された。和太鼓の響きは人間の鼓動と共鳴する。音楽が好きだというK君も何度か手を叩いて喜んでいて楽しそうにしていた

友生の子らはバスの都合や食事の関係でほとんど時間がなかったが、車いすからストラックアウトをしたり、スピードガンで8kmを出したりした。去年はもう少し時間があって、マジ同のマジックや化研の液体窒素の奴をみれたりしたが、ただでさえ少ない時間が和太鼓でなくなり、結局何球かボールを投げ、ちょっと買い物をしただけで帰ることになった

最初は半ば嫌々だったが、腹くくってやるうちに何か熱中したような感じになって、わずかな時間しか無いのが残念だった。K君も少し親しみを持ってくれたみたいだったし、本当はもう少し案内してみたかったんだが


思わずひるむような酷い姿をした子もいたし、K君だって正直マトモなもんじゃない

 けど彼らのような姿に僕がなっていた可能性もある。何かの拍子に彼らがああいう形に生まれ落ち、俺は幸せにも普通以上の能力を持って生まれたが、逆でもおかしくはなかった

 彼ら、そして他者は広くみれば"自分がなりえた可能性"であり、ある意味僕の一部と言えるのかもしれない。他人と自分は別物とは言い切れず、何か根源的な部分で繋がっているのだろう


そんなことを考えながら車いすを押していたが、K君は楽しそうにしていた。それをきれいに表現はできなくても

障害を持った彼らの姿が美しいとは言えないし、ひるむのは当然だと思う。でも嫌悪し、恐怖してはいけないのだろう

 とりあえず来年もやってみようと思う。僕らの楽しみを少しでも共有させてあげられるなら、わずかな苦労は厭うに値しないだろう