英語の価値

淀川工業高ブラバン部のコンサートに行く車の中で、母親から来年の夏辺りホームステイでもしないかと言われた。

 英会話なんてまるっきりからっきしだから無理だと答えたが、外国人と意志疎通するのは思ったより簡単だそうだ。

まぁ国内を一人旅しろと言うのならいくらでもやるが、言葉が通用するかも分からない外国で一人旅というのもキツそうだし、不安だからその場では拒否した。

 英語の価値は知ってる。でも意欲はわかない。M師に親しめないのが大きいのかも知れないが、それを認めると他人のせいにして逃げてるようで癪だ。

 かといって彼に欠けているのが何か考えているわけでもなく(人格的なことは考えている)それに対して努力するわけでもない。現状に不満を持って愚痴ってるだけだ。

 リスニングも出来ない(∵やってないから)会話も出来ない(∵やってないから)で外国なんて……

 だが結局出来ないのを彼のせいにして、努力してないだけで、それから目を背けたいけど文句を言われるのも嫌だから50位目安で適当にこなしてきたようだ。


 帰って勉強して風呂から上がってきたら話は父親に伝わっていたようで、前からのお題目をリピートされる。曰く「英語はツール」だの「ウェブの9割は英語」だのetcetc

英語の価値って結局情報なんだろうか。確かにいろんな論文は全て英語で書かれてるし、様々な視点を得るためにも英語は不可欠ではある。知ってる。


 何のために勉強するのか知ってるのに、勉強しない。結局バカなんだろうか。

 陽明学だったか、知行合一という言葉があったはずだが、今はまさにその逆のようだ。

いくら喋り慣れてても、中身の英語能力がなきゃ結局意味がないらしい。でも英語力って何なのか。どうやったら身につくのか。今の自分にどれぐらいあるのか。分からない。目的地も現在地も地図もなけりゃ、実は歩いている理由さえ分かってない。

 何かしこたま腹が立つばかりです。